李常傑とは? わかりやすく解説

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李常傑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/16 06:54 UTC 版)

李 常傑[注 1](り じょうけつ、リ・トゥオーン・キエット、ベトナム語Lý Thường Kiệt / 李常傑順天10年(1019年) - 龍符5年(1105年6月)は、李朝大越宦官、武将である。原名は呉俊ベトナム語Ngô Tuấn / 吳俊)で、常傑[3]太宗中国語版聖宗中国語版仁宗中国語版の3代に仕えた。北宋との戦い(宋越熙寧戦争中国語版)で大越を勝利に導いた名将として、現在のベトナムにおいても尊崇されている。


注釈

  1. ^ 『越史略』には「阮常傑」の名で登場する。「李」姓が「阮」姓に改められた理由は『安南志略中国語版[1]、『大越史記全書[2]などの書物によれば李姓が陳朝皇室の祖先の陳李中国語版諱と重なることを避けたものとされる。
  2. ^ この年の7月元号神武に改められている。『越史略』では神武元年2月とする。
  3. ^ チャン・チョン・キムは、開戦の原因を「チャンパが常に仕掛ける騒乱」とする[8]
  4. ^ チャン・チョン・キムによれば、この3州は現在のクアンビン省クアンチ省にあたる[10]
  5. ^ 阮朝期に編纂された歴史書『欽定越史通鑑綱目中国語版』によれば、太寧4年8月の出来事とされる[12]
  6. ^ 『越史略』では太寧2年と誤記されている。
  7. ^ チャン・チョン・キムによれば、現在のバクニン省、如月村。
  8. ^ チャン・チョン・キムによれば現在のカウ川[20]、郭振鐸、張笑梅によれば現在の紅河とされる[21]
  9. ^ 太寧5年は西暦1076年に該当する。『大越史記全書』によれば丙辰太寧5年3月、4月より先は改元により英武昭勝元年となる。また、『越史略』では丙辰太寧4年と誤記されている。あるいは英武昭勝改元は10月との説もある。
  10. ^ 釋法寶「仰山靈稱寺碑銘」。"公内樹寬明,外馳簡惠。移風易俗,何憚懃勞。儉以從事,悦以使民,民所賴之;寬能濟眾,仁而愛人,人所敬之;威而殲惡,政以決獄,獄〔無〕濫之;食則民天,邦本農務,務不失之;善而不伐,養及野老,老必安之。如此之道則可謂莅民之本,安〔國〕之術,美在茲矣。"。 

出典

  1. ^ 『安南志略』李氏世家、307頁。
  2. ^ 呉士連等『大越史記全書』、326頁。
  3. ^ a b 『東南亞歴史詞典』李常傑條、206頁。
  4. ^ a b c 西川寛生『ベトナム人名人物事典』、75頁。
  5. ^ wikihanoi - Về lai lịch một "người thăng long gốc": Lý Thường Kiệt - ウェイバックマシン(2010年6月19日アーカイブ分)
  6. ^ 耿慧玲「越南文獻與碑誌資料中的李常傑 (PDF) 」、朝陽科技大學。
  7. ^ a b c 呉士連等『大越史記全書』、255頁。
  8. ^ チャン・チョン・キム『ベトナム史略』、70頁。
  9. ^ 『越史略』、586-587頁。
  10. ^ チャン・チョン・キム『ベトナム史略』、70-71頁。
  11. ^ 呉士連等『大越史記全書』254-255頁。
  12. ^ 潘清簡等『欽定越史通鑑綱目』正編巻之三、太寧四年八月「命李常傑伐占城不克而還」條。
  13. ^ ジョルジュ・マスペロ『占婆史中国語版』、68頁。
  14. ^ 小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史』、74頁。
  15. ^ 『越史略』、588頁。
  16. ^ ファン・ゴク・リエン『ベトナムの歴史 ベトナム中学校歴史教科書』、172頁。
  17. ^ a b 呉士連等『大越史記全書』、248頁。
  18. ^ 李燾『続資治通鑑長編』6675-6676頁。
  19. ^ ファン・ゴク・リエン『ベトナムの歴史 ベトナム中学校歴史教科書』、173頁。
  20. ^ a b チャン・チョン・キム『ベトナム史略』74頁。
  21. ^ 郭振鐸、張笑梅『越南通史』、300頁。
  22. ^ a b チャン・チョン・キム『ベトナム史略』、74-75頁。
  23. ^ a b 『越史略』、589頁。
  24. ^ 呉士連等『大越史記全書』、248-249頁。
  25. ^ 李燾『続資治通鑑長編』、6843-6844頁。
  26. ^ 呉士連等『大越史記全書』、248-250頁。
  27. ^ 郭振鐸、張笑梅『越南通史』、298-301頁。
  28. ^ a b 釋法寶「仰山靈稱寺碑銘」 『越南漢喃銘文匯編・第一集北屬時期至李朝』、166頁。 
  29. ^ 欽定越史通鑑綱目正編 • Khâm định Việt sử thông giám cương mục chính biên (q.03-04) • 正編卷之三,李仁宗英武昭勝元年十二月條,Page 38”. 2013年9月23日閲覧。
  30. ^ 司馬光『涑水記聞』巻第十三、250頁
  31. ^ 李燾『続資治通鑑長編』6650-6651頁
  32. ^ 呉士連等『大越史記全書』、249頁。
  33. ^ 朱文常「安穫山報恩寺碑記」 『越南漢喃銘文匯編・第一集北屬時期至李朝』、83頁。 
  34. ^ 『越南文獻與碑誌資料中的李常傑』、第5頁
  35. ^ チャン・チョン・キム『ベトナム史略』、76頁
  36. ^ 越南社会科学委員会『越南歴史』、200頁。
  37. ^ ファン・ゴク・リエン『ベトナムの歴史 ベトナム中学校歴史教科書』、174頁。
  38. ^ 郭振鐸、張笑梅『越南通史』、297-298頁。
  39. ^ 郭振鐸、張笑梅『越南通史』、288頁
  40. ^ チャン・チョン・キム『ベトナム史略』、73頁註
  41. ^ 『越南文獻與碑誌資料中的李常傑』、第4頁、第7頁
  42. ^ 1974年1月19日西沙海戦詳解--中華网--中華軍事 - ウェイバックマシン(2005年11月28日アーカイブ分)


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