本寿院 (徳川家慶側室)とは? わかりやすく解説

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本寿院 (徳川家慶側室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 10:05 UTC 版)

本寿院(ほんじゅいん、文化4年(1807年[注 1] - 明治18年(1885年2月3日)は、江戸幕府の12代将軍徳川家慶側室で、13代将軍・徳川家定の生母。他にも2人の男児を出産したが、いずれも早世した。本寿院は落飾後の院号で、実名は美津堅子とも言う。父は幕臣の跡部正賢(跡部正寧とする説もある)。姉に、松平斉善の侍女となった浜尾(本立院)がいる[1]


注釈

  1. ^ 「本寿院殿御履歴」では文化3年(1806年)1月15日生まれとされているが、墓碑の享年は「七十九年一月」とあり、数え年で換算すると文化4年(1807年)となる[1]

出典

  1. ^ a b 『徳川「大奥」事典』(東京堂出版、2015年)p.288
  2. ^ a b c 『徳川「大奥」事典』(東京堂出版、2015年)p.289


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