日野名子
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日野 名子(ひの めいし、延慶2年(1310年)?[1] - 延文3年2月23日(1358年4月10日)[2])は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての女房。光厳天皇典侍。名は「資子」とも。通称は「竹むき」[3]。父は日野資名、夫は西園寺公宗。日記『竹むきが記』の筆者として知られる。
注釈
出典
- ^ 岩佐 2011, p. 303.
- ^ 岩佐 2011, pp. 287-288.
- ^ 岩佐 2011, p. 286.
- ^ 岩佐 2011, p. 287.
- ^ 岩佐 2011, p. 45.
- ^ 岩佐 2011, p. 43.
- ^ 岩佐 2011, p. 49.
- ^ 岩佐 2011, p. 53.
- ^ 岩佐 2011, pp. 303-313- 年譜
- ^ 岩佐 2011, p. 246.
- ^ 岩佐 2011, p. 3.
- ^ 岩佐 2011, p. 266.
- ^ 岩佐 2011, p. 269.
- ^ 岩佐 2011, p. 279.
- ^ 五條 2004, p. 52.
- ^ 五條 2004, pp. 179-180.
- ^ 岩佐 2011, p. 297.
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