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旅順虐殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/06 11:53 UTC 版)
旅順虐殺事件(りょじゅんぎゃくさつじけん)は、日清戦争の旅順攻略の際、市内及び近郊で日本軍が清国軍敗残兵掃討中に旅順市民も虐殺した事件[1]。中国では「旅順大屠殺」、英語ではthe Port Arthur Massacre、またはthe Port Arthur Atrocitiesと言う。
- ^ 「山地将軍より左の命令あり。・・・今よりは土民といえども我軍に妨害する者は不残殺すべしとの令あり」(『征清従軍日記』)、「当時市内に逃げ後れたる小商人及貧民等は敗残兵と混入して類害を被り非命の死を致したるもの一万五六百名の多きに至りたり」、「(海外メディアからの批判に対し)左記の事実を以推究せば二十一日に於て市街の人民を混一して殺戮したるは実に免れ難き実況なるをしるべし」(直前の二証言とも有賀長雄『日清戦役国際法論』)。これらの資料については一ノ瀬俊也『旅順と南京』や原田敬一『日清戦争』(吉川弘文館、2008)で取り上げている確度の高い資料である。他に「(死者の)過半数約六〇〇〇以上が戦闘と関係がない無辜の住民であることは絶対に動かしようがない事実である」(大江志乃夫『東アジア史としての日清戦争』立風書房、1998,P444)、「日本軍は多数の市民を虐殺」(菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』講談社、2005、P91)など日本側の資料・研究書で指摘されている。なお上記の研究書は『史学雑誌』の回顧と展望でも注目すべき研究として取り上げられたことがあるレベルのものに限定している。
- ^ 井上晴樹『旅順虐殺事件』筑摩書房、1995、p147。
- ^ 井上前掲書、p147。
- ^ 『東京日日新聞』12.19付け記事
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