斎藤寿夫 (政治家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 斎藤寿夫 (政治家)の意味・解説 

斎藤寿夫 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 08:22 UTC 版)

斎藤 寿夫(齋藤 壽夫[1]、さいとう としお、1908年1月11日 - 1999年5月24日)は、昭和期の政治家官僚静岡県知事(公選第2 - 5代)。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。

斎藤 寿夫
さいとう としお
生年月日 1908年1月11日
出生地 日本 静岡県富士市
没年月日 (1999-05-24) 1999年5月24日(91歳没)
死没地 日本 静岡県静岡市
出身校 京都帝国大学法学部
所属政党自由党→)
自由民主党→)
無所属→)
自由民主党
称号 勲二等旭日重光章

選挙区 静岡県地方区
当選回数 1回
在任期間 1972年12月10日 - 1974年7月7日

選挙区 旧静岡2区
当選回数 1回
在任期間 1967年1月29日 - 1969年12月2日

公選第2-5代 静岡県知事
当選回数 4回
在任期間 1951年5月4日 - 1967年1月8日
テンプレートを表示

経歴

現在の静岡県富士市に、大地主の長男として生まれる。旧制静岡高等学校を経て、1933年京都帝国大学法学部を卒業。学生時代は河上肇の講義に親しみ、学究の道を志していたが、滝川事件を機に官吏へと志望を変更し、1934年高等文官試験に合格、内務省に入省。

厚生省引揚援護局指導課長、静岡県民生部長、同総務部長を経て、1951年静岡県知事小林武治との政争の末自由党の公認取り付けに成功、同県知事選に立候補し当選を果たす。以後4期16年務める。在任中の功績としては佐久間ダム伊豆スカイライン田子の浦港の建設が挙げられる。

知事退任後は1967年から衆議院議員を1期、1972年から参議院議員を1期務めた。1978年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲六等からの昇叙)[2][3]

1999年5月24日、慢性呼吸不全のため静岡県静岡市の自宅で死去、91歳[4]。死没日をもって従六位から従三位に叙される[1]

脚注

  1. ^ a b 『官報』第2655号9-10頁 平成11年6月28日号
  2. ^ "斎藤 寿夫". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2022年12月31日閲覧
  3. ^ 『官報』号外第87号1頁 昭和53年11月6日号
  4. ^ “訃報”. 産経新聞. (1999年5月25日). オリジナルの2000年12月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001207225900/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9905/25/paper/today/dead/25dea001.htm 2022年12月31日閲覧。 
公職
先代
小林武治
静岡県知事
公選第2 - 5代:1951年 - 1967年
次代
竹山祐太郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「斎藤寿夫 (政治家)」の関連用語

斎藤寿夫 (政治家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



斎藤寿夫 (政治家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの斎藤寿夫 (政治家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS