恭譲王とは? わかりやすく解説

恭譲王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 01:34 UTC 版)

恭譲王(コンヤンワン、きょうじょうおう、王瑤 ワンヨ、おうよう(1345年3月9日 - 1394年5月17日)は、高麗の第34代国王である(在位:1389年 - 1392年)。第20代神宗の子の襄陽公王恕の六代の孫。諡号恭譲大王。はじめ定昌府院君に封じられていたが、李成桂朝鮮の太祖)により高麗王として擁立された。後に李成桂に禅譲し、李成桂の命令で子供とともに殺された。


  1. ^ 恭讓王諱瑤定原府院君鈞之子神宗七世孫 母曰國大妃王氏忠穆王元年二月五日生 初封定昌府院君 辛昌元年十一月丁丑大護軍金佇與禑謀作亂事覺下佇獄戊寅遷禑于江陵
  2. ^ 李成桂の子の李芳遠(後の李氏朝鮮の太宗)が率いる軍によって殺された。具体的に殺害したのは李芳遠の部下の趙英珪。
  3. ^ 禅譲・簒奪・推挙などの表現方法の違いがある。
  4. ^ 禑王は正当な王と認められていないので、王禑もその妃にも追封がない。したがって庶名になっている。
  5. ^ 昌王は正当な王と認められていないので、王昌もその妃にも追封がない。したがってこのような名になっている。


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