弾圧の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:20 UTC 版)
薩摩では明治元年(1868年)、廃仏毀釈が行われる。それは徹底的なもので寺という寺が破壊され、神社に変えられた。その結果、真宗以外の仏教各派も著しく勢力を後退させた。明治9年(1876年)には真宗禁制がとかれるが、西南戦争が始まったため事実上の解禁はその後になった。旧人吉藩の実情も同様であった。 実質的な真宗解禁後、仏教空白地域とでも言うべき状態となった旧薩摩藩地域において、浄土真宗本願寺派は猛烈な布教を行い、結果、鹿児島県は維新前とは一変し、かえって浄土真宗一色になった。しかし、解禁後も新しく出来た本山主導の寺と隠れ念仏のネットワークの間にはさまざまな軋轢があったという。
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