広済寺 (日置市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 08:22 UTC 版)
広済寺(こうさいじ)は、かつて薩摩国日置郡伊集院郷郡村[注釈 1]に存在した臨済宗の寺院である。「廣済寺」とも記されている。山号は「泰定山」。
注釈
- ^ a b 現 鹿児島県日置市伊集院町郡。
- ^ 応永28年(1421年)12月19日に93歳で亡くなる[1]。
- ^ 「圓勝寺」とも記されている。
- ^ 現在、古城公民館の近くに跡がある。
- ^ 後に広済寺の末寺となる。現在は廃寺。円福寺には現在、忠国夫妻、第7代住職・雪岑、第8代住職・景渭、明和4年8月に亡くなった第17代住職・関宗の墓も残されている。
- ^ 約75cm。
- ^ 約42cm。
- ^ 雪岑東堂とも呼ばれる。
- ^ 家老のような役職。
- ^ 廃仏毀釈により廃寺。広済寺の末寺で、旧・松元町の旧国鉄線路跡にあった。鉄道沿いの県道下には、善福寺の門前井戸と呼ばれる湧水井戸がある。
- ^ 旧・松元町。
- ^ a b 伊集院由緒記には、既に廃寺となっていることが記されている。
- ^ 旧・市来町と旧・東市来町。
- ^ 南さつま市坊津町にあった廃寺。
- ^ 日置市吹上町湯之浦にあった廃寺。
- ^ 日置市吹上町入来にあった廃寺。
- ^ 日置市伊集院町野田にあった廃寺。
- ^ 薩摩川内市。
- ^ 薩摩川内市にあった廃寺。
- ^ 阿久根市。
- ^ 姶良市蒲生町にあった廃寺。
- ^ 日置市日吉町日置にあった廃寺。
- ^ 雪岑により、新たに善福寺境内に建立された。
- ^ 記述では鹿児島市福山町にあったとされるが、場所は不明。
- ^ その後、鹿児島市上谷口町内田に、江戸時代にあった門割制度「入田門」の門神として、小さな祠に祀られている。
- ^ その後、伊集院町下谷口にて、江戸時代にあった門割制度「宮奥門」が管理している。
- ^ 大正初期、鉄道建設のため恋之原稲荷神社に合祀されたが、伊集院町下谷口にて、江戸時代にあった門割制度「稲田門」の門神として、小さな祠に祀られている。
- ^ 伊集院由緒記や旧記雑録では1月27日となっているが、貴久や家老たちの書状は3月1日の日付で、義久の書状は3月2日。
- ^ 現在は廃寺。旧国鉄線路跡にあったと伊集院郷土史には書かれており、現在は近くに報恩寺橋というに朱色の欄干の橋が神之川に架かっている。
- ^ 伊集院にある広済寺の雪岑和尚が、肥後安国寺を給わる。
- ^ 約10アール。
- ^ 寛政6年(1794年)9月4日に亡くなる。
- ^ ちなみに、広済寺が妙円寺の寺領を越えたことは無いという記載があるが、最盛期における寺領は、『三国名勝図会』記載の広済寺730石に対して、妙円寺500石[23]。
- ^ かつては、ごろはち神社に
団子 ()あげて、と歌っていた。 - ^ 第二次世界大戦以前。
- ^ 廃寺となった報恩寺を、第17代住職・関宗の時代に広済寺の境内へ再興[8]。
出典
- ^ a b c 薩摩藩 1843, p. 46。
- ^ a b c d e 『伊集院由緒記』
- ^ a b c d 松元町 1986, p. 186, 「第十一章 雪岑東堂 第三節 泰定山廣済寺」。
- ^ 『廣済寺文書』における、正長2年(1429年)8月22日に定山桃隠と伊集院煕久が署名した文章。
- ^ 『廣済寺文書』
- ^ a b c d e 松元町 1986, p. 187, 「第十一章 雪岑東堂 第三節 泰定山廣済寺」。
- ^ 塩満郁夫 1974, p. 62。
- ^ a b c d 薩摩藩 1843, p. 48。
- ^ 『鹿児島県の歴史散歩』山川出版社。
- ^ a b c 石谷永福寺所蔵『町田氏正統系図』
- ^ a b c d 松元町 1986, p. 191, 「第十一章 雪岑東堂 第五節 再渡海」。
- ^ 鹿児島県『鹿兒島縣史 第一巻』1939年4月25日、610頁。ウィキソースより閲覧。
- ^ 松元町 1986, pp. 185–186, 「第十一章 雪岑東堂 第二節 琉球交際」。
- ^ a b 『薩藩旧記雑録』
- ^ 松元町 1986, pp. 187–188, 「第十一章 雪岑東堂 第四節 瑞雪山善福寺」。
- ^ 松元町 1986, pp. 188–190。
- ^ 「元亀元年七月二七日 中山王書状」東京大学史料編纂所所蔵・島津家本『町田氏正統系譜』。
- ^ 松元町 1986, pp. 188, 190, 「第十一章 雪岑東堂 第四節 瑞雪山善福寺」。
- ^ a b 松元町 1986, pp. 190–191, 「第十一章 雪岑東堂 第五節 再渡海」。
- ^ a b 「廣済寺由緒書出之内」『薩藩旧記雑録』。
- ^ 鹿児島県立図書館 2002, p. 176
- ^ “日置市が伝えてきたもの”. 妙円寺. 2017年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月2日閲覧。
- ^ 松元町 1986, pp. 222–223, 「第十三章 島津藩 第二節 妙円寺詣り」
- 1 広済寺 (日置市)とは
- 2 広済寺 (日置市)の概要
- 3 沿革
- 4 境内
- 広済寺 (日置市)のページへのリンク