島田嘉七
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島田 嘉七(しまだ かしち、1895年8月14日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8]。本名同じ[1][2][4]。旧芸名嵐 璃文(あらし りぶん)[1][2][3]。新派・旧派を経て、日活向島撮影所の新派女形となり、男役に転向後もその美貌により人気を得たスター俳優として知られる[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r キネマ旬報社[1979], p.272-273.
- ^ a b c d e f g h i j 揚幕社[1923], p.38-39.
- ^ a b c d e f g h 蒲田[1933], p.73.
- ^ a b c 映画世界社[1934], p.143.
- ^ 島田嘉七、jlogos.com, エア、2013年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 島田嘉七、日本映画データベース、2013年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 島田嘉七、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e 島田嘉七、日活データベース、2013年3月25日閲覧。
- ^ 泉沢[1925], p.195-197.
- ^ 田中[1975], p.363-366.
- ^ 佐相[2001], p.106.
- ^ 松竹[1985], p.238.
- ^ a b 『アサヒグラフ』 1949年6月1日号。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月25日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年3月25日閲覧。
- ^ https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/00520/
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