岸信周
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 02:05 UTC 版)
岸 信周(きし のぶちか)は、戦国時代の武将。斎藤氏の家臣。美濃国堂洞城主。通称は孫四郎、勘解由左衛門。
- ^ 『日本城郭全集7 愛知・岐阜編』新人物往来社、1966年12月15日、338頁。
- ^ 「岸氏系譜」『富加町史』 下巻 通史編、岐阜県加茂郡富加町、1980年、202頁。
- ^ 「岸勘解由の系譜」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、202頁。
- ^ a b c 『美濃明細記』
- ^ a b 「井ノ口合戦と岸孫四郎」『美濃加茂市史』 通史編、美濃加茂市、1980年、263 - 264頁。
- ^ 「勘解由の戦歴と人物」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、201 - 204頁。
- ^ 『堂洞軍記』
- ^ 「勘解由の遺族のこと」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、205 - 207頁。
- ^ 「勘解由の系譜」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、200 - 201頁。
- ^ 「勘解由の戦歴と人物」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、203 - 204頁。
- ^ 「中濃三城の盟約 勧降使金森五六八」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、192頁。
- ^ a b 「堂洞合戦 戦の経過」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、197頁。
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