居藤高季とは? わかりやすく解説

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居藤高季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 22:20 UTC 版)

居藤 高季(いとう たかすえ 1897年3月9日 - 1981年12月19日)は、大阪府出身の柔道家 。講道館8段・国際武道院名人10段[1]

人物

早稲田大学大学部商科(現、早稲田大学商学部)卒。早稲田中学柔道部主将時代は講道館2段、早稲田大学柔道部主将時代は講道館3段。早稲田大学卒業後は、株式会社三井物産 本社 砂糖部へ入社。父親は陸軍将軍の居藤高次郎[2]、義兄は陸軍将軍の三宅俊雄。

略歴

  • 1924年- 講道館幹事、警視庁武術師範、警視庁捕手術制定委員、専修大学柔道教授
  • 1931年 講道館道場取締役、講道館審議員、講道館文化会委員、東京柔道有段者審議部員
  • 1933年- 大正大学講師(柔道師範)、志道館道場開設 
  • 1934年 志道会会長
  • 1949年 東京都柔道連盟設立、全日本柔道連盟設立 
  • 1950年 アメリカ柔道学校開設
  • 1951年 三船久蔵、伊藤四男らと共に翌年武道大会を開くことを立案
  • 1952年 国際武道院による第一回武道大会開催(日比谷公園にて)
  • 1952年 国際柔道連盟結成
  • 1953年 国際柔道学院開設、球心流護身道本部開設 
  • 1954年- 講道館護身術制定委員、講道館最高審議会審議員
  • 1956年- 東京高等柔道整復専門学校教授
  • 1959年 全日本柔道高段者会設立理事長
  • 1961年 都柔連オリンピック柔道強化委員長
  • 1962年 東京都体育協会オリンピック技術強化委員
  • 1964年 東京オリンピック競技大会柔道運営委員、オリンピック記念国際柔道大会顧問
  • 1966年 柔道最高功労章を贈られる

主な段歴

  • 1913年8月3日 講道館入門
  • 1914年2月27日 講道館初段
  • 1915年3月11日 講道館2段
  • 1918年1月13日 講道館3段
  • 1922年8月14日 講道館4段
  • 1926年12月14日 講道館5段
  • 1931年1月25日 講道館6段
  • 1937年12月22日 講道館7段
  • 1948年5月4日 講道館8段 
  • 1973年3月3日 国際武道院名人9段
  • 1976年9月18日 国際武道院名人10段

受賞歴

  • 文部大臣賞(1931年)
  • 柔道最高功労章(1966年)
  • 勲五等雙光旭日章(1969年)

脚注




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