小笠原信興
(小笠原氏助 から転送)
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小笠原 信興(おがさわら のぶおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。遠江高天神城主。「長忠」の名で知られるが、これは軍記物においてのみ見られる呼称で、初名は氏助で後に信興と改名している。『信長公記』は長忠と信興(氏助)を別人として扱っており、これにより後世の歴史書や研究・巷談において混乱が起きている。
注釈
- ^ 従来武田信玄が高天神城を攻撃した時期は元亀2年(1571年)とされてきたが、近年の書状群の年代再比定によりその事実は否定されている。
- ^ 『信長公記』では守将の「長忠」が堪えたものの、織田信長や家康による援軍が到着するより先に「氏助」が寝返ったために城が陥落した、とされている。
出典
- 1 小笠原信興とは
- 2 小笠原信興の概要
- 3 参考文献
- 小笠原信興のページへのリンク