寛文近江・若狭地震
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寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)は江戸時代前期の寛文2年5月1日(1662年6月16日)に近畿地方北部を中心に発生した大地震で、2つの地震が連続して発生した地震と考えられている[† 1][3]。
出典
参考文献
- ^ a b c d e 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年
- ^ 日本地震学会『日本付近の主な被害地震』
- ^ 知野泰明「近世の災害」/北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年) ISBN 9784642079686
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- ^ a b c 西山昭仁、「寛文2年(1662)近江・若狭地震における京都での被害と震災対応」 京都歴史災害研究 2006年 第5号 p.39-
- ^ a b 文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年
- ^ 知野泰明「近世の災害」/ 北原糸子編著 『日本災害史』 吉川弘文館 2006年 232-238ページ
- ^ 三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年
- ^ 河角廣(1951)、「有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, hdl:2261/11692
- ^ 宇佐美(2003)の値の中間値を四捨五入。(『地震の事典』)
- ^ a b 宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年
- ^ 小松原琢, 水野清秀, 金田平太郎, 須藤宗孝, 山根博(1999): 史料による1662年寛文地震時の三方五湖周辺における地殻変動の復元,歴史地震, No.15, pp.81-100.
- ^ a b 寒川旭 『地震の日本史』 中公新書、2007年
- ^ 羽鳥徳太郎(2010): 歴史津波からみた若狭湾岸の津波の挙動 (PDF) 歴史地震, No.25, pp.75-80.
- ^ 琵琶湖西岸地震(1662 年)と町居崩れによる天然ダムの形成と決壊 歴史地震 第18号(2002)52-58 頁 (PDF)
- ^ 西山昭仁, 小松原琢, 東幸代, 水野章二, 北原糸子, 武村雅之, 寒川旭(2005): 活断層調査と文献史料から推定した寛文二年(1662)若狭・近江地震の起震断層と震源過程 (PDF) 歴史地震, No.20, pp.257-266.
- ^ 小松原琢(2006): 寛文二年(1662)近江・若狭地震の地震像と被災地区の歴史地理的考察 (PDF) 京都歴史災害研究, 2006年 第5号 p.21-38.
- ^ 都司嘉宣 都司嘉宣: 2004年インドネシア・スマトラ島西方沖地震津波の教訓 東京大学地震研究所
- 1 寛文近江・若狭地震とは
- 2 寛文近江・若狭地震の概要
- 3 地震の記録
- 4 地殻変動
- 5 その後の歴史地震との関連
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