天六ガス爆発事故
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天六ガス爆発事故 (てんろくガスばくはつじこ)は、1970年(昭和45年)4月8日17時45分頃、大阪府大阪市大淀区(現・北区)国分寺町菅栄町西交差点東側付近の大阪市営地下鉄2号線(現・Osaka Metro谷町線天神橋筋六丁目駅)建設工事現場[注 1]で起こったガス爆発事故である。
注釈
- ^ 東梅田 - 都島間3.2キロの延長工事。日本万国博覧会(大阪万博)を前にした地下鉄網緊急整備計画によるものだった。
- ^ 午前中の工事でガス管全体が露出していた。中圧ガス管は1957年5月に敷設。
- ^ 更に消防車も出動し、周辺住民に対しては避難と火気厳禁を要請していた。
- ^ 開削工法で掘削したトンネルの天井部分を一時的に塞ぐための板である。コンクリート製で鉄の型枠にセメントを流し込んで作成する。サイズは1枚あたり縦約1.8メートル、横約0.9メートル、厚さ0.2メートルの直方体で、重量は約400キログラムである。
- ^ 記者会見で「もし、あなたの肉親が爆発事故で死んでいたとしたら、どうしますか。告発状を誰に突き付けますか?」と問われた中馬市長は「原因…(絶句)勿論市民を守る立場と事故が市の工事現場で起きたという両面から、市長の私がすべての責任を負うべきだと思うし現にそう思っている」と答えている。
- ^ 死者79人(1人当り1200万円前後で総額9億1000万円)と家屋などに対する補償は事故の8か月後に完了し、負傷者に対する補償も1983年に完了した(総額5億9000万円)。
- ^ 事故当時、公共広告機構(現・ACジャパン)は設立前であった。
出典
- 1 天六ガス爆発事故とは
- 2 天六ガス爆発事故の概要
- 3 脚注
- 天六ガス爆発事故のページへのリンク