大谷邦夫
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大谷 邦夫(おおたに くにお、1924年1月5日 - 2015年8月23日[1])は、日本の官僚。銀行家。日本銀行政策委員会委員、協和銀行副頭取を経て德陽シティ銀行頭取等を歴任した。宮城県仙台市出身。
略歴
- 1946年 - 東北帝国大学法文学部卒業。
- 1947年 - 大蔵省入省。
- 1973年 - 日本銀行政策委員会委員。
- 1974年 - 中小企業金融公庫理事。
- 1977年 - 協和銀行(現:りそな銀行)入行 常務取締役。
- 1980年 - 同専務取締役。
- 1982年 - 同副頭取。
- 1990年
- 6月 德陽相互銀行社長。
- 8月 普銀転換、德陽シティ銀行頭取。
- 1996年 - 同相談役。
- 2015年 - 死去。
関連項目
参考文献
- 『日本金融名鑑(上) 』 日本金融通信社、 1990年。
脚注
- ^ 大谷邦夫氏死去(元徳陽シティ銀行社長、元日銀政策委員会大蔵省代表委員) 時事通信 2015年8月28日
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