鳥海山大物忌神社
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鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)は、山形県飽海郡遊佐町にある神社。式内社(名神大社)、出羽国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 鈴木正崇「山岳信仰の展開と変容 : 鳥海山の歴史民俗学的考察」『哲學』第128巻、三田哲學會、2012年3月、447-514頁、CRID 1050282813923501952、ISSN 0563-2099、NAID 40019302116。
- ^ 『日本三代実録』貞観13年(871年)5月16日の条には「出羽國司言。従三位勳五等大物忌神社在飽海郡山上。巖石壁立。人跡稀到。夏冬戴雪。禿無草木。去四月八日山上有火。」と記述されている。
- ^ 『山形県史 通史編第1巻 原始・古代・中世編』では、四時雪を戴いて草木も生えず、登山困難な高山で、しかも4月8日に噴火したとあるので鳥海山と推定される、と述べている。山形県 『山形県史 通史編第1巻 原始・古代・中世編』 山形県 1979年3月 より。
- ^ a b c d 安斎 徹・橋本賢助・阿部正巳 『山形郷土研究叢書第7巻 名勝鳥海山』 国書刊行会 1982年11月 より。
- ^ 『外記日記』の記述による。
- ^ 昭和12年(1937年)国の重要文化財に指定されている。
- ^ 『鳥海山史』では、『日本三代実録』の誤読を蕨岡が強引に根拠とし、主張を行ったと述べている。すなわち『日本三代実録』貞観13年5月16日の条は「従三位勳五等大物忌神社在飽海郡山上。巖石壁立。」(従三位勳五等大物忌神社は飽海郡の山上に在り。巖石が壁立し。)ではなく「従三位勳五等大物忌神社在飽海郡。山上巖石壁立。」(従三位勳五等大物忌神社は飽海郡に在り。山上は巖石が壁立し。)が正しい読み方であり、大物忌神社は山頂を遥拝できる平地にあったので、山頂は飽海郡では無いと考察している。姉崎岩蔵 『鳥海山史』 ㈱国書刊行会 1983年12月 より。ちなみに『國史大系 第4巻 日本三代実録』では、貞観13年5月16日の条に「従三位勳五等大物忌神社在飽海郡山上。巖石壁立。」と句読点を付している。
- ^ 戸川安章 『出羽三山と修験道 戸川安章著作集Ⅰ』 ㈲岩田書院 2005年2月
- ^ a b 「宿泊施設」(鳥海山大物忌神社ホームページ)
- ^ a b 「鳥海山の山小屋・宿泊施設」(「鳥海山登山ガイド」ホームページ、鳥海国定公園観光開発協議会)
- ^ 鳥海山頂美術館ホームページ
- ^ 「鳥海山、天空の美術館好評 K2登頂小松さんの写真展開催」(河北新報、2014年7月6日)
- ^ a b 「巨大雪見灯籠、設置作業進む 遊佐・鳥海山大物忌神社の参道」(山形新聞、2013年4月7日)
- ^ 「遊佐の映画史に新たな1ページ 映画「るろうに剣心」続編<ロケ>」(遊佐鳥海観光協会ホームページ)
- ^ 「山形:るろうに剣心、参勤交代 各地で大型映画ロケのワケ」(毎日新聞、2014年7月22日)
- ^ 1937年に「北畠顕信寄進状・北条氏雑掌奉書」として重要文化財(当時の国宝)指定。1979年6月6日付けで指定名称を「鳥海山大物忌神社文書」に変更。
- ^ 2008年に「鳥海山大物忌神社境内地」として国の史跡に指定。2009年7月23日付けで指定範囲追加のうえ、指定名称を「鳥海山」に変更。
- 1 鳥海山大物忌神社とは
- 2 鳥海山大物忌神社の概要
- 3 概要
- 4 祭事
- 5 外部リンク
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