大河平才蔵
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大河平 才蔵(おこひら さいぞう、生年不明 - 1894年(明治27年)5月18日)は、大日本帝国海軍の軍人、海軍大技監。従五位。
注釈
- ^ 明治初期、各分野に各藩から選ばれた者が、東京へ学びに行った。このことを東京留学と言った。
- ^ 年齢は12歳前後。砲術学校とは海兵士官養成学校(後の海軍兵学校)の当初の名称
- ^ 明治初期、日本を訪れる軍艦のほとんどはクルップ砲とその弾丸を搭載していた。
- ^ ルツボ製鋼法とは1740年イギリスのベンジャミン・ハンツマンが「銑鉄は湯(溶ける)にすることが出来るが、鋼は溶かすことが出来ない」という常識を破って発明された製鋼法。鉄と鋼は異なった製造法で作られていた。量と経済性を重視する一般構造材料に用いられたのは鉄で、武器や刃物など特に質を重んじるものは鋼を用いていた。その鋼を作ることが出来たのは19世末までルツボ製鋼法であった。その製法は炭素分の低い錬鉄をコークスとともにルツボに入れ密閉し、強加熱することで溶融状の鋼が出来る。ルツボで作った鋼は不純物がなく武器や刃物に適した優秀な鋼であった。こうした優れた鋼は19世紀のイギリスの産業革命を牽引したと言われている。
- ^ 当時のクルップ工場においては、ルツボ製鋼法だけでなく平炉法やベッセマー法等の大量製鋼技術による鋼の生産も始まっていたが、ルツボ製鋼法は何と言ってもクルップ企業の成功の基礎であり、中心工場であった。当時のルツボ製鋼工場では、常に9,000人の人々が働いていた。溶けた状態の鋼を得ることが出来れば、「鋼を加工することが出来る」ということを意味した。ハンツマンは溶けた鋼によって刃物や小型の工具などを作ったが、1840年代にアルフレート・クルップが卓越した才能を発揮して大砲や船軸のような大型のものをルツボ製鋼法によって作り出すことに成功した。クルップのこの成功によって世界の製鉄業は「溶けた鋼の時代」に入った。1870年代においてはベッセマー法により生産される鋼よりもルツボから生産される鋼のほうが組織が均質で良質であったため需要は伸び続けていた。
- ^ 現代では製鋼技術と化学分析は隣り合わせにあるものである。製造品種によって多少異なるが、年間1,000万トンの鋼を生産する製鉄所では、20万件くらいの分析が行われていると言われている。また分析法も多数開発されて光やX線が分析に使われ、コンピューターの発達により分析時間も年々短縮されている。だが、明治初期の日本において化学分析というのは鉄に限らず、未知の分野であった。日本では古代よりたたら法により鉄をつくり西洋におとらない鉄の加工技術を持っていたが、鉄を造る段階や加工の段階で、鉄そのものを化学的に分析するということは全くなかった。日本刀は世界でも類のない卓越した組織を持つ鋼で作られているが、それは優れた鍛造によるものであった。化学的理解、例えば凝固、変態、成分などに目をむけて作業が行われていたわけではなかった。おりしも大河平がクルップに留学した1878年(明治11年)にはドイツのアドルフ・マルテンス (1850-1914) が顕微鏡によって鋳鉄と鋼の組織をとらえることに成功し、鉄の研究はまた新たな段階に入った。
- ^ クルップルツボ鋼の製造工程。原料となる鉄鉱石を高炉で銑鉄にする。これをパドル法によって粗鋼にし、蒸気ハンマーで長い棒状に圧延する。次にこれを水の中に入れて硬くする。この際、化学分析を行い硬度と炭素の含有量が検査されて、基準を満たした棒状粗鋼だけが砕かれ正確に秤量されたうえ、鍛鉄とともにルツボ内に入れられる。ルツボは高熱に強い粘土と黒鉛で作られていて、一つのルツボに40キログラムの原料が入った。蓋で密封し、気密状態とし、加熱炉の中に入れ、周囲にコークスを詰め、高い煙突から空気を大量に送ってコークスを燃やし、その高い熱でルツボ内の粗鋼と鍛鉄が溶けるようにした。加熱にかかる時間は4-5時間で一度に200個前後のルツボが加熱炉に入れられた。砲身や船軸のような大型の製品を作るためには多数のルツボの中身を間断なく続けて開け、何百人もの溶夫が整然と列を作って並び、高い台にあがった指揮者の指示に従って鋳型に流し込むことが必要であった。鋼は比較的早く固まるので均質な鋳鋼製品を製造するには多数の加熱炉を合理的に並べ、すぐれた作業管理体制と溶夫達の熟練と沈着さ、かつ敏速な行動が要求された。
- ^ 明治政府は1873年(明治6年)にキリスト教禁止の高札を撤廃したが、一般社会においては根強い偏見、警戒が残っていた。日本においてキリスト教が社会的にある程度地位を得るのは1889年(明治23年)に明治憲法が発令されてからである。
- ^ 斎藤実関係文書目録 書類の部 1/国立国会図書館/1993.11/GK123-E100 7. 大河平才蔵書翰 斎藤実宛 一二月五日 墨書 一通 アルミヤムスチールに関する質問 都合問合 8 .大河平才蔵書翰 斎藤実宛 一二月一一日 墨書 一通 アルミヤムアイロン書類送付感謝 9. 大河平才蔵書翰 斎藤実宛 一五日 墨書 一通 アルミヤムアイロン試験について
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