外記日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/08 07:06 UTC 版)
外記日記(げきにっき)は、朝廷の官衙である外記局で書かれた記録・日記。官衙の公務日記であり、国史の編纂や朝廷の政務・儀式を遂行する上で重要な典拠とされた[1]。朝廷の公的な日記として奈良時代末期から平安時代後期にかけて作成された。
- ^ 斎木編1990,p. 10
- ^ 松薗1997,pp. 262-265
- ^ 斎木編1990,p. 10
- ^ 作成背景については、松薗1997,pp. 262-265を参照
- ^ 斎木編1990,p. 10
- ^ 橋本1976,p. 392
- ^ 橋本1976,p. 392
- ^ 中野1996,p. 49
- ^ 橋本1976
- ^ 橋本1976,p. 393
- ^ 吉岡眞之「外記日記」『平安時代史事典』角川書店
- ^ 橋本1976,p. 393
- ^ 橋本1976,p. 391
- ^ 斎木編1990,p. 10
- ^ 坂本2020,p. 63
- ^ 中野1996,pp. 49-50
- ^ 中野1996,pp. 49-50
- ^ 中野1996,pp. 59-60
- ^ 松薗1997,pp. 274-276
- ^ 中野1996,pp. 52-53
- ^ 中野1996,pp. 52-53
- ^ 中野1996,pp. 49-52
- ^ 久安3年(1147年)ころ、当時一上で蔵人別頭であった藤原頼長が復活を試みるも効果はなかった(橋本義彦「外記日記」『国史大辞典第5巻(け~こほ)』吉川弘文館、1985年)
- ^ 橋本1976,p. 398
- ^ 松薗1997,pp. 320-321
- ^ 橋本1976,p. 393
- ^ 松薗1977,pp289-290
- ^ 松薗1977,pp287-290
- ^ 遠藤2020,pp287-303
- ^ 金子拓・遠藤珠紀・久留島典子・久水俊和・丸山裕之「史料編纂所所蔵『大外記中原師廉記』」東京大学史料編纂所紀要 23、2013年
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