公家故実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 08:48 UTC 版)
平安時代の中期から先例を伝える知識の体系化が進み、藤原忠平の執政期に儀礼の基本形が確立した。忠平は本康親王・貞保親王を通じて受け継いだ父藤原基経の知識、兄藤原時平の説、勅命や外記日記を参照して合理的な儀礼体系を作り上げた。忠平の知識は口伝によって二人の子に受け継がれ、兄実頼の小野宮流、弟師輔の九条流という2大儀礼流派が生まれた。また忠平五男師尹の小一条流も発生し、のちに九条流から御堂流が成立した。院政期には源師頼を祖とする土御門流(村上源氏系)と源有仁を祖として縁戚の徳大寺実定・三条実房が完成させた花園流(閑院流系)もあったとされている。平安時代末期の関白松殿基房は、これら多数ある公家有職故実を集約し、のちに「松殿関白説」と呼ばれる学説にまとめられた。松殿関白説は長く公家社会で重要視され、二百年以上経った室町時代に後花園天皇の笏を新調するにあたり、二条持基が参考にした記録が残っている。 後に官司請負制が浸透すると、有職故実を家職とする家(徳大寺家(九条流)、大炊御門家(御堂流))も現れた。 有職故実に関する原点は官製の儀式書に由来を求めることが出来るが、後に貴族は自己の日記に有職故実を書き残し、子孫が代々の日記を集成して有職故実書を編纂するようになった。有職故実書の中でも、源高明の『西宮記』、藤原公任の『北山抄』、大江匡房の『江家次第』の三書は「後世の亀鑑」と仰がれ別格扱いであった。室町時代の一条兼良はこの三書を、『西宮記』は古礼、『北山抄』は一条天皇の時代以降の儀式、『江家次第』は後三条天皇の時代以後の儀式と記している。 鎌倉時代以降には専門的な研究が盛んとなり、儀式については順徳天皇の『禁秘抄』、後醍醐天皇の『建武年中行事』、一条兼良の『公事根源』、官職制度については北畠親房の『職原抄』、服飾については源雅亮の『雅亮装束抄』などの有職故実書が著された。また、著名な公家研究家としては南北朝時代の洞院公賢・二条良基、室町時代の甘露寺親長、安土桃山・江戸時代初期の平田職忠、また江戸時代の野宮定基・平松時方などが挙げられる。
※この「公家故実」の解説は、「有職故実」の解説の一部です。
「公家故実」を含む「有職故実」の記事については、「有職故実」の概要を参照ください。
公家故実と同じ種類の言葉
- 公家故実のページへのリンク