塩の道 (日本)
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塩の道(しおのみち)は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道のことをいう[1]。また反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でもある[2]。製塩が化学製法に代わり、専売法に依る規制がかけられる以前は海辺の塩田に頼っていたことから、日本の各地で、海と山を結ぶかたちで数多くあった。日本各地で盛んだった塩の道での往来は、大糸線や飯田線といった鉄道建設に反映されたり、1960年代以降に道路が整備されて、現在も物流の主要なルートとして残っている。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 浅井建爾 2001, pp. 104–105.
- ^ a b 浅井建爾 2015, p. 116.
- ^ 森田剛光、塩の道の変遷とトレッキング・ツーリズム : 西北ネパール、カリガンダキ渓谷地域の地誌学的考察 『名古屋大学人文科学研究』 2009年 38巻 p.85–97, hdl:2237/23135, 名古屋大学大学院文学研究科
- ^ 田中道彦、「塩の道と塩島新田開発」 『技術史教育学会誌』 10(1・2), 57-63, 2009-03, NAID 40016661866
- ^ 竹之内耕、「糸魚川ジオパークと地域振興」 『地学雑誌』 2011年 120巻 5号 p.819-833, doi:10.5026/jgeography.120.819, 東京地学協会
- ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 142.
- ^ “三遠南信自動車道 青崩峠道路”. 飯田国道事務所. 2022年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e f ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 140–141.
- ^ a b 浅井建爾 2015, p. 118.
- ^ (地名の出典として):大口勇次郎、「幕末における蚕種業の発達と農村構造 : 上田藩上塩尻村を素材として」 『土地制度史学』 1962年 5巻 3号 p.38-54, doi:10.20633/tochiseido.5.3_38, 土地制度史学会(現 政治経済学・経済史学会)
- ^ a b c “古道 塩の道をゆく”. 若狭美浜観光協会. 2023年8月21日閲覧。
- ^ 「日本の道100選」研究会 2002, p. 92.
- 1 塩の道 (日本)とは
- 2 塩の道 (日本)の概要
- 3 敵に塩を送る
- 4 外部リンク
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