土御門有脩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 22:45 UTC 版)
土御門 有脩(つちみかど ありなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・陰陽師。陰陽頭・土御門有春の子。
注釈
- ^ 男系を辿ると藤原北家閑院流三条家に行き至る。
藤原師輔-(閑院)公季-4代-三条実行-2代-正親町三条公氏-11代-滋野井季国-五辻為仲-之仲-綾小路高有-3代-倉橋有儀-土御門泰栄 - ^ よって、「安倍晴明の男系直系末裔」は、信憑性のある公的な系譜上、現存しない。
- ^ 勧修寺家:土御門有脩-勧修寺晴豊室-坊城俊昌-勧修寺経広-10代-美温
- ^ 現在の土御門家の安倍氏血脈:安倍晴明-15代-土御門有宣-有春-土御門有脩-勧修寺晴豊室-坊城俊昌-勧修寺経広-4代-経逸-高倉永雅室-鷲尾隆賢室-隆聚-三室戸和光室-土御門晴善-範忠-善子
男系を辿ると、藤原北家三室戸家(藤波家からの養子)を経て大中臣氏藤波家に行き至る。 - ^ 現在の倉橋家の安倍氏血脈:安倍晴明-15代-土御門有宣-有春-土御門有脩-勧修寺晴豊室-坊城俊昌-勧修寺経広-経敬-尹隆-愛宕通貫室-倉橋有儀室-4代-豊子(婿・信忠)-純信(-輝行)
男系を辿ると、倉橋信忠は松平恒三郎の子のため松平氏に行き至る。 - ^ 皇室へ至る血脈:土御門有脩 - 勧修寺晴豊室 - 坊城俊昌 - 勧修寺経広 -(4代略)- 経逸 - 婧子(光格天皇典侍)- 仁孝天皇 - 以下歴代天皇
出典
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「土御門有脩」の続きの解説一覧
- 1 土御門有脩とは
- 2 土御門有脩の概要
- 3 経歴
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