国君を辱しめず
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:26 UTC 版)
紀元前589年、斉と晋が戦った華不注山の戦いでは、郤克、欒書らとともに晋軍を率いて戦い、斉の頃公をあと一歩で捕えるところまで追い詰めたが、そのとき頃公は側近の機知によって難をまぬがれた。あとでその事を知った韓厥は「国君を辱しめずにすんだ」と言ってむしろ喜んだと言う。 また、後の紀元前575年の鄢陵の戦いの際には、楚に与力した鄭の成公を発見したが、この時も韓厥は「国君を辱しめてはならない」と言って成公を見逃した。
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