因幡志
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『因幡志』(『稲羽志』、『因幡誌[注 1]』、いなばし[1])は因幡国(鳥取県東部)に関する江戸時代中期に編纂された地誌史料である[2]。成立時期は一応寛政7年(1795年)とされているが[1][3]、その時点では実際には世に出されず、その後も加筆が行われた[3]。『因幡民談記』とならび、近世の因幡国に関する代表的な地誌とされている[3][2]。
注釈
- ^ 本書とは別に、享保年間(1716年 - 1736年)に成立したとみられる『因幡誌』『伯耆誌』もある[1]。
- ^ 吉岡家は米子城に勤める医家で、吉岡玄昌は名医として知られていた。宝暦10年(1760年)に鳥取城に召し出され、のちに藩主池田重寛の病の治癒の功で禄高300石を与えられるまでになった。医術のほか諸学に通じ、文学や俳諧も嗜んだ。華佗の著作と言われる『中蔵経』(実際には華陀作ではない偽書とも)の注釈書『新校正中蔵経』を著した。晩年の雅号を吉岡恕翁という[6]。
出典
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