喜連川城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:36 UTC 版)
大蔵ヶ崎城(おおくらがさきじょう)または喜連川城(きつれがわじょう)は、栃木県さくら市喜連川にあった日本の城。蔵ヶ崎城(倉ヶ崎城)とも。
- ^ a b c “旧喜連川町の紹介”. さくら市役所ホームページ. さくら市. 2016年9月11日閲覧。
- ^ 喜連川塩谷氏の系譜と『吾妻鏡』の記述による。ただし、『吾妻鏡』に源範頼軍に加わった武将として掲載された「塩谷五郎惟広」については、武蔵国の児玉党塩谷氏の塩谷維弘であるとする説もある。『矢板市史』では、児玉党塩谷氏の一族には、「維」や「弘」の通字を使った者が多く、維弘の字が『吾妻鏡』の惟広と違うことから、「塩谷五郎惟広」は喜連川塩谷氏の惟広とすることが有力であるとする。
- ^ 秋田塩谷系譜は「塩谷荘十五郷」と記す。
- ^ 【小山評定の群像(72)】鎌倉の名門、戦乱に消える 塩谷惟久 - 産経ニュース2016年9月11日閲覧。
- ^ a b c “【さくら市議会一般質問】お丸山公園、13年に復旧 ミュージアム収蔵庫増設へ”. 下野新聞SOON (下野新聞社). (2011年6月10日) 2011年10月3日閲覧。
- ^ a b c “月内にも再整備検討委 お丸山公園”. 下野新聞SOON (下野新聞社). (2011年7月16日) 2011年10月3日閲覧。
- ^ a b c d “施設案内 公園”. さくら市役所ホームページ. さくら市. 2011年10月3日閲覧。
- ^ a b c d 『見たい・知りたい・遊びたい とちぎ探検隊 市町村ガイドブック 2004年度版』下野新聞社、2004年4月27日、92-94頁。ISBN 4-88286-238-7。
- ^ a b c “水道復旧なお時間 知事、さくら・矢板など視察”. 下野新聞SOON (下野新聞社). (2011年3月28日) 2011年10月3日閲覧。
- ^ a b “揺れる地面、走る衝撃音 「まさか崩れるとは…」”. 下野新聞SOON (下野新聞社). (2011年9月23日) 2011年10月3日閲覧。
- ^ “公園存廃議論へ被災状況を視察 さくら 再整備検討委が初会合”. 下野新聞SOON (下野新聞社). (2011年8月2日) 2011年10月3日閲覧。
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 喜連川城のページへのリンク