倶知安 - 脇方間(京極線)
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「胆振線」の記事における「倶知安 - 脇方間(京極線)」の解説
脇方の倶知安鉱山は1916年(大正5年)に三井鉱山の所有となり、さらに1918年(大正7年)4月に三井が出資する室蘭の北海道製鐵(旧・輪西製鐵所、現・日本製鉄室蘭製鉄所)へ譲渡、同年11月1日に開山した。当時推定鉱量1,000万tと言われた同鉱山への国家的な期待は大きく、当線が建設される主要動機となった。 1919年(大正8年)11月15日 倶知安 - 京極間 (13.4 km) を京極軽便線として新規開業。六郷駅・寒別駅・京極駅を新設。 1920年(大正9年)7月15日 京極 - 脇方間 (7.5 km) を日本製鋼所が敷設し、全線を鉄道院に寄付して開業。脇方駅を新設。 1922年(大正11年)9月2日 京極線と改称。
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