井伊直興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 01:54 UTC 版)
井伊 直興(いい なおおき)は、江戸時代前期から中期の譜代大名。江戸幕府大老。近江彦根藩の第5代藩主および第8代藩主。直治(なおはる)・直該(なおもり)とも名乗る。井伊直弼の高祖父。
注釈
- ^ 現在、槻御殿のうち建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と称している。昭和26年(1951年)、国名勝に指定。
- ^ 困窮や他家への仕官の結果、すぐに帰参できた者は23人で、残りの53人は病気、既に死去、行方不明とされた[1][信頼性要検証]。
- ^ 辞任の理由は、元禄10年2月に計画されていた日光社参の財源確保のために大老に登用されながら実現できなかったためとしている。また、延宝8年から務めていた将軍・綱吉の参詣先導役が元禄11年(1698年)7月14日から途絶えているが、任務を達成できないため病気になったともされている[2]。
- ^ 真言宗醍醐派の寺。日本三大弁財天の1つとされる弁財天坐像を安置。楼門の扉を額縁に見立てたように真正面に彦根城を臨める。
出典
[続きの解説]
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