二流の金津氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/21 14:36 UTC 版)
建治元年(1275年)5月成立の「六条八幡宮造営注文写」には「金津蔵人跡」「同三郎跡」とあり、『系図纂要』には「資直 蔵人、左衛門尉、木津東方」「信資 三郎、新津西方」とあって、金津資直(すけなお)と金津信資(のぶすけ)のときに蔵人系と三郎系の二流に分流していたことがわかる。
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