二条城会見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/29 23:28 UTC 版)
二条城会見(にじょうじょうかいけん)は、1611年(慶長16年)3月28日に、山城国京都二条城において、徳川家康と豊臣秀頼が行った会見である。
- ^ 『武徳大成記』
- ^ これに対し、『大坂御陣覚書』などによると、秀頼の生母である淀殿は「家康が大坂に来るべき」と難を示したが、片桐且元、加藤清正、浅野長政などが、両家の不和を危惧して説得した。『東武談叢』によると、且元は、「関東と不和になり玉ひ、合戦起こらん事必定なり」と訴えた。
- ^ 『清正記』加藤清正が用意した船で上洛し、『家忠日記』でも浅野幸長と清正の兵がそれぞれ片側の岸を警備し、船中では宴が開かれたとなっている。
- ^ 他に、成瀬正成、竹腰正信、安藤直次、水野重仲(『家忠日記』)。
- ^ 『当代記』によると浅野幸長が徳川義直の、加藤清正が徳川頼宣の介添え役となった。彼らは娘婿と舅になる予定の関係だった。
- ^ 『清正記』によると、清正は輿の左右の戸を開いて、秀頼の成長を知らしめたという。
- ^ 別に大鷹3連、馬10頭。
- ^ 別に太刀、金300枚、黒毛馬、猩々緋3枚、緞子20巻。
- ^ 『清正記』によると、浅野幸長は体調を崩していた。
- ^ 大工棟梁の中井正次に銀200枚を下賜している。
- ^ 前年より角倉了以が方広寺再建の為に高瀬川の水運を作事し、この年に開削した。
- ^ 『義演准后日記』
- ^ 『家忠日記』
- ^ 『当代記』
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