久松氏とは? わかりやすく解説

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久松氏

(久松家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 13:58 UTC 版)

久松氏(ひさまつし)は、武家華族だった日本氏族室町時代には尾張知多郡阿久居の領主であり、戦国時代俊勝の代には初め織田氏に属すも徳川家康の母伝通院を妻としたことで徳川氏に属するようになり、その子らは松平姓に改姓。俊勝の四男定勝の子孫が最も隆盛し、その嫡流は江戸時代には親藩大名伊予松山藩主家、明治維新後には久松に復姓して華族の伯爵家に列した[1]


注釈

  1. ^ 旧松山藩は現米11万748石(表高15万石)で現米5万石以上同15万石未満の旧中藩に該当[10]
  2. ^ 旧桑名藩は現米2万3450石(表高6万石)、旧今治藩は現米2万2720石(表高3万5000石)、旧多古藩は現米2750石(表高1万2000石)でいずれも現米5万石未満の旧小藩に該当[11]

出典

  1. ^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・世界大百科事典 第2版『久松氏』 - コトバンク
  2. ^ 新田完三 1984, p. 492.
  3. ^ a b 新田完三 1984, p. 314.
  4. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『松平定信』 - コトバンク
  5. ^ 新田完三 1984, p. 779.
  6. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)・藩名・旧国名がわかる事典『今治藩』 - コトバンク
  7. ^ 萬翠荘について”. 萬翠荘. 2023年6月6日閲覧。
  8. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『久松氏』 - コトバンク
  9. ^ 新田完三 1984, p. 94/492/314/780.
  10. ^ a b 浅見雅男 1994, p. 123.
  11. ^ a b 浅見雅男 1994, p. 150-151.
  12. ^ 多古町史
  13. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 72.
  14. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 363.
  15. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 248.
  16. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 222.


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