中林竹渓とは? わかりやすく解説

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中林竹渓

読み方なかばやし ちくけい

江戸後期画家京都生。中林竹洞長子。名は成業、字は紹父、号は臥河居士、通称金吾初め父竹洞に画を学び、のち山本梅逸師事写実優れ25才の時京都家門を開く。吉田公均日根野対山とも親交した。慶応3年(1867)歿、52才。

中林竹渓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/06 23:40 UTC 版)

中林 竹渓(なかばやし ちくけい、文化13年(1816年) - 慶応3年4月22日1867年5月25日))は、江戸時代末期の南画家中林竹洞の長男。京都出身。通称を金吾、名は成業、字は紹父。竹渓は号で、別号に臥河居士。


  1. ^ 敦賀市立博物館編集・発行 『館蔵逸品図録』 1995年1月4日、第49図。


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