上野不忍池競馬とは? わかりやすく解説

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上野不忍池競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 01:22 UTC 版)

上野不忍池競馬(うえのしのばずのいけけいば)は1884年明治17年)から1892年(明治25年)まで東京上野不忍池で行われていた競馬共同競馬会社主催で、不忍池を周回するコースで行われていた。馬券は発売されずギャンブルとしての開催ではなく、屋外の鹿鳴館ともいうべき祭典で明治天皇をはじめ華族、政府高官や財界人を含む多くの観衆を集め華やかに開催された。


注釈

  1. ^ 戸山学校競馬場は1879年7月来日したアメリカ・グラント前大統領の歓待の行事の一つである競馬観覧に供するために陸軍戸山学校敷地内に作られた競馬場である[2]。同じ時期、東京では靖国神社と三田でも競馬が行われていたが、それらは馬産もしくは祭礼の余興としての競馬で社交の場の役割は考えられていない[3]
  2. ^ 創立時の役員は幹事に松方正義蜂須賀茂韶。議員に野津道貫保科正敬鍋島直大田中光顕石井邦猷小沢武雄西寛二郎黒川通軌楠本正隆など、旧大名、明治の元勲、政治家、高級将校などが名を連ねる[5]
  3. ^ 馬場になった不忍池池畔には競馬が開催されていない時期には一般人も最初は立ち入ることが出来たが、調教中の馬と通行人の事故が起きたり、馬場が荒れるとして1886年(明治19年)からは競馬をしていないときでも一般人は立ち入れなくなった。これには異議が出たため、1889年(明治22年)ころからはまた競馬の非開催時には一般人が池の周囲を散策できるようになった[9]
  4. ^ 浮世絵のなかには右回りで描かれているものがあるが、残された写真から左回り[10]。また審判所(ゴール・着順判定所)は1等馬見所(メインスタンド)から見て右側にあり[11]これからも左回りとわかる。
  5. ^ 公称では1周は14町40間(1マイル)だが、実際には約1500メートルだったとされる[12]
  6. ^ レースは必ずしも一周1600メートルの競走ばかりではなく、第一回二日目の婦人財嚢競走では650メートルの距離で競走が行われ[13],あるいは1000メートル、1600メートル、長いレースでは2000メートルなどさまざまな距離で行われた[14]
  7. ^ 馬見所への入場料は上等席が5円、中等で3円[16]この明治の1円の価値は換算する基準によって大きく異なるものの人件費を基準にすると現代の2万円程度と換算する向きもある[17]ので上等席は現代では10万円のチケットともいえる。
  8. ^ 同じ時期、外国人が主催する横浜の根岸競馬では中国馬が活躍している。中国馬は欧州馬には敵わないとはいえ日本馬より早い。しかし共同競馬会社のレースには中国馬は出られなかった。共同競馬会社は社交として競馬を運営するだけでなく、馬匹の改良も目的としていた。しかし日本に輸入されている中国馬はどれも騸馬(去勢された馬)だったのである。騸馬は子孫を残せない。また、仮に牝馬を輸入するとしても中国馬は日本馬と同じくポニーであり、せっかく生殖能力のある馬を輸入するならば中国馬ではなく欧州馬を考えていた。したがって共同競馬会社では中国馬は排除されている[19]
  9. ^ 1887年(明治20年)以降は雑種馬が増え、雑種馬が主流となっていく[20]
  10. ^ 在来の日本馬は外国馬に比べ体が小さく首が太く速度・持久力に劣り、気性が荒い。騎手の命令も聞かずコーナーも上手く回れない。そのため日本馬は競走馬として西洋馬とは比べ物にならず、雑種馬にもとうてい敵わなかった。ただし、当時の日本の競走馬は日本馬がほとんどで雑種馬は少数であった。このため、日本馬限定のレースと雑種馬が参加できるオープンレースと分ける必要があった[26]
  11. ^ 『日本の競馬史』第2巻p597では横浜への行幸回数は14回となっているが、その数字には疑問が呈されている。そのため、より新しい研究の『日本レース・クラブ五十年史』の数字を採用した[29]
  12. ^ 政府高官たちの個人的な賭けは黙認され盛んに個人間で賭けが行われ、非合法だが民間でも広く賭けが行われていた。政府は競馬で賭けが行われていることを見て見ぬふりをした。むしろ上流階級の賭けは非公然だが奨励すらされた。ただし博徒が競馬の賭けに絡むことは厳しく摘発されている[31]

出典

  1. ^ a b c d 日本中央競馬会1967、50-54頁。
  2. ^ 日本中央競馬会1967、32頁。
  3. ^ 日本中央競馬会1967、12-31頁。
  4. ^ 日本中央競馬会1967、42頁。
  5. ^ 日本中央競馬会1967、43頁。
  6. ^ a b 立川2008、3-4頁
  7. ^ a b 立川2008、8-11頁
  8. ^ 立川2008、157頁
  9. ^ 立川2008、162-163,642。
  10. ^ 日高1998、45頁。
  11. ^ 日高1998、39頁。
  12. ^ 立川2008、10頁
  13. ^ 早坂1987、67頁。
  14. ^ 立川1995、80-90頁。
  15. ^ a b c d 日高1998、38-43頁。
  16. ^ 立川2008、7頁。
  17. ^ man@bou日本と世界のお金の歴史 雑学コラム 明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?”. 野村ホールディングス、日本経済新聞. 2014年1月3日閲覧。
  18. ^ 立川1995、9頁。
  19. ^ 立川2008、63頁。
  20. ^ 立川2008、306頁。
  21. ^ 日本中央競馬会1967、46-50頁。
  22. ^ 立川2008、34,139,146頁。
  23. ^ 日本中央競馬会1967、600頁。
  24. ^ 立川2008、5-7頁
  25. ^ 立川2008、162頁。
  26. ^ 立川2008、14-15頁
  27. ^ a b 立川1995、80頁。
  28. ^ 立川2008、21-39頁。)
  29. ^ 鈴木1970、35頁
  30. ^ 日本中央競馬会1967、597頁。
  31. ^ 立川2008、387-402頁。
  32. ^ 立川2008、312-343、368-384頁。
  33. ^ 日本中央競馬会1967、65-75頁。
  34. ^ 日高1998、74頁。
  35. ^ 立川2008
  36. ^ 日本中央競馬会1967


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