上田重安
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 00:40 UTC 版)
上田 重安(うえだ しげやす)は、安土桃山時代の武将、大名。江戸時代前期の浅野家の家老。通称は左太郎、主水正。関ヶ原の後に剃髪して宗箇と名乗ったので、上田 宗箇(うえだ そうこ)の名でも知られる。
- ^ a b c d 堀田 1923, p. 85.
- ^ 天野可古の子。
- ^ 『岩波講座日本通史 - 第 11 巻』
- ^ a b c d e 高柳 & 松平 1981, p. 43.
- ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』(日本図書刊行会、2000年)ISBN 4823105281、37p
- ^ 熊倉功夫『小堀遠州茶友録』(中公文庫、2007年) ISBN 978-4122049536、49p
- ^ 和田英松、所功 校訂『官職要解』講談社学術文庫 621 ISBN 4061586211、127p
- ^ 『寛政重修諸家譜』は主水正とするが、口宣案には主水助とある。しかしこれは誤りで、主水司には四等官のスケがそもそも存在しない[7]ため「主水助」という官職はない。
- ^ 山岸素夫「厳島神社蔵菖蒲韋威腰取仏胴具足の考察」(『日本甲冑論集』つくばね舎、1991年)pp. 226-241
- ^ 福田千鶴 『御家騒動 大名家を揺るがした権力闘争』(中公新書、2005年) ISBN 4121017889、125p
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