ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 08:00 UTC 版)
アルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》は1935年8月11日に完成された。おそらくベルクの最も有名な作品であり、なおかつ最も演奏回数に恵まれた作品である。「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)の献辞が付されているが、ときにこれが副題のように看做されることもある[1]。
- ^ 当時ベルクは、ナチス政権の締め付けによって経済的な問題をかかえていた。Jarman, Douglas (1991) Alban Berg: Lulu. Cambridge University Press. p. 4.
- ^ 喘息の再発と心臓の不調、歯痛に悩まされた。作品の完成前後には虫刺されが悪化し、治療によって一時は回復したが、尾骶骨付近の膿瘍に加えて各所の腫れが発症し、モルヒネや多量のアスピリンで痛みを抑えていた。Pople (1991) pp. 41-43.
- ^ ダグラス・ジャーマン (Douglas Jarman) の研究による。作品はベルクの自伝的な要素を含んでいると考えられ、引用されたケルンテン地方の民謡の歌詞に現れる「ミッツィー」Mizzi は「マノン」の愛称であるとともに、ベルクが17歳のときに私生児を生んだケルンテン地方出身の女中マリー (Marie Scheuchl) の愛称でもある。またベルク自身と晩年の恋人ハンナ・フックス (Hanna Fuchs) を象徴する「23」と「10」の数字が随所に用いられており、第2楽章の第222小節ではフックスのイニシャルであるH-F音を独奏が強調する。浜尾 (1998) pp. 89-90.
- ^ 各楽章の前半にソナタ形式の形跡をみる場合もある。Pople (1991) p. 110.
- ^ a b c 柴沼純子 (2020)「ベルク ヴァイオリン協奏曲〈ある天使の思い出に〉」『月刊オーケストラ』2020年2月号 (PDF) - 読売日本交響楽団。2023年12月26日閲覧。
- ^ Pople (1991) pp. 26-27.
- ^ 浜尾 (1998) p. 89.
- ^ Pople (1991) pp. 40-41.
- ^ Pople (1991) p. 44.
- ^ a b ベルクの監修のもと弟子のヴィリー・ライヒ (de:Willi Reich) が記した解説による。Pople (1991) pp. 32-33.
- ^ a b 浜尾 (1998) pp. 90-94.
- ^ Jan Reichow. “Melodien... Vom Choral zum Raga”. janreichow.de. 2014年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月7日閲覧。
- 1 ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)とは
- 2 ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)の概要
- 3 楽器編成
- 4 参考文献
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