ワシントン会議 (1922年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 15:43 UTC 版)
ワシントン会議(ワシントンかいぎ、1921年(大正10年)11月12日 - 1922年(大正11年)2月6日)は、第一次世界大戦後にワシントンD.C.で開かれた国際軍縮会議。
注釈
- ^ 日本が譲歩せざるを得なかった理由として、対英米との国力比較ではその差が歴然としていたこと、第一次大戦後は世界的に平和を求める趨勢にあり、日本の国民感情もその例外ではなかったこと、そして対華21カ条要求やシベリア出兵などの政府方針が国際的にはいうに及ばず国内的にも不評だったこと、そして濡れ手に粟の大戦景気が戦後は一転して大恐慌となり、緊縮財政のなか軍事費の削減が不可避となったことの3点があげられる(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店〈岩波新書355〉 1959年 17ページ)
- ^ 全権委員の首席を加藤友三郎海軍大臣が務め、徳川家達貴族院議長、及び幣原喜重郎駐米大使らが全権委員に任命された。
出典
- ^ a b c d e 江口圭一「1910-30年代の日本 アジア支配への途」『岩波講座 日本通史 第18巻 近代3』岩波書店、1994年7月28日、ISBN 4-00-010568-X、26~31頁。
- ^ 三訂版, 日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社日本史事典. “ワシントン海軍軍縮条約(わしんとんかいぐんぐんしゅくじょうやく)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年7月6日閲覧。
- ^ 櫻井良樹「近代日中関係の担い手に関する研究(中清派遣隊) ―漢口駐屯の日本陸軍派遣隊と国際政治―」『経済社会総合研究センター』第29巻、麗澤大学経済社会総合研究センター、2008年12月、1-41頁、doi:10.18901/00000407、NAID 120005397534、CRID 1390290700383170048。
- 1 ワシントン会議 (1922年)とは
- 2 ワシントン会議 (1922年)の概要
- 3 脚注
「ワシントン会議 (1922年)」の例文・使い方・用例・文例
- ワシントン会議 (1922年)のページへのリンク