ルーマニア革命後
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「イオン・イリエスク」の記事における「ルーマニア革命後」の解説
1989年、ルーマニア革命により共産党政権が崩壊し、政権を掌握した救国戦線の評議会議長に就任、暫定的に国家元首になる。 1990年1月、救国戦線を政党に移行するため暫定国家統一評議会を設立、議長に就任し正式に国家元首になる。2月、正式政府の発足に伴い救国戦線を政党へ衣替えする。再び議長(党首)に就任。5月、ルーマニア初の複数政党制・秘密選挙による自由選挙で85.1%を獲得、大統領に当選。 1991年、救国戦線から脱退、民主救国戦線を結成し党首に就任。1992年10月、大統領選挙で47.3%を獲得し再選。 1993年7月、民主救国戦線から社会民主主義党(現:社会民主党)に改称、党首に就任。1996年11月、大統領選挙で中道右派のエミル・コンスタンティネスクに敗れる。 2000年11月、大統領選挙で中道右派の候補を抑え復帰。2004年12月、任期満了に伴い大統領職を退任。
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