シャフレ・レイ
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シャフレ・レイ(ペルシア語: شهر رِیْ, ラテン文字転写:Šahr-e Rey)[注釈 1]は、イランの首都テヘランの南方10キロメートルの場所に位置するテヘラン州のシャフレスターン[注釈 2]である。東西及び南北交通路の交差する交通の要衝に位置し、紀元前から人の集住する町があった。8世紀から13世紀にかけて、その町は「ライイ」(al-Rayy)あるいは慣用的に「レイ」と呼ばれ、イスラーム帝国の東方支配の要として栄えた。「ラーズィー」(al-Rāzī)は当該レイとの関連があることを示すニスバである。しかし相次ぐモンゴルの侵攻で荒廃し、一度は遺棄された。その後、シーア派の聖者廟(シャー・アブドルアズィームのハラム)を中心に町が発展し、現代に至る。
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- ^ Jürgen Ehlers (Hrsg. und Übers.): Abū'l-Qāsem Ferdausi: Rostam - Die Legenden aus dem Šāhnāme. Philipp Reclam jun., Stuttgart 2002, S. 370 (Rāy)
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- ^ Najāshī, Aḥmad b. ʿAlī al-. Rijāl al-Najāshī. Qom: Muʾassisat al-Nashr al-Islāmī, 1416 AH.
- ^ “シャフレ・レイにあるリトル・アラブの暮らし~ドウラトアーバード地区ゴドゥス通りを歩く~(1)”. 東京外国語大学 (2016年9月15日). 2019年3月18日閲覧。
- 1 シャフレ・レイとは
- 2 シャフレ・レイの概要
- 3 地理
- 4 シーア派の巡礼地
- 5 出典
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