ヨーク家の敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:56 UTC 版)
リチャード3世には多くの敵がいた。それは主にランカスター派支持者であり、彼らの支持はランカスター家の傍流ボーフォート家の娘を母とする、テューダー家のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーへと集まっていった。1483年の終わりに起こったクーデターの試みは失敗したが、1485年にリチャード3世はボズワースの戦いでリッチモンド伯と対戦した。この戦闘で、リチャード3世の重要な支持者の何人かが寝返ったり参陣を見送ったりしたことにより、リチャード3世は戦死した。リチャード3世は、ヨーク家最後の王であるとともに、広義のプランタジネット家の最後の王であり、戦死した最後のイングランド王でもある。 リッチモンド伯は自身が国王であると宣言し、ヨーク家とランカスター家の生き残りたちの融合の象徴としてエドワード4世の長女(エドワード5世とヨーク公の姉)エリザベス・オブ・ヨークを妻とし、1603年まで続くテューダー朝の祖ヘンリー7世として即位した。 後にエドワード4世の妹でリチャード3世の姉エリザベスと夫のサフォーク公ジョン・ド・ラ・ポールの子孫が正式なヨーク家の権利継承者と認められたが、夫妻の長男リンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポールは1487年にヘンリー7世に反乱を起こして戦死、次男のエドムンド・ド・ラ・ポールもヘンリー7世に反抗して大陸へ亡命、1506年に捕らえられロンドン塔へ投獄、1513年に処刑された。同じく大陸へ逃亡した末子のリチャード・ド・ラ・ポールが1525年のパヴィアの戦いで死ぬと、マーガレット・ポールがヨーク家の最後の生き残りとなり、彼女の子孫がヨーク家の遺産を継いでいった。
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