ムラヴィヨフによる命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:16 UTC 版)
1859年6月17日、東シベリア提督ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーを伴った蒸気コルベット「アメリカ」は、ロシアの沿岸に沿って航行していたところ、陸を視認した。岩だらけの岬を迂回して、船は名無しの湾内に入った。濃霧で視界は悪く、雨は霧雨になった。船はゆっくりと湾の奥へと進み、岸から2マイルほど離れた、姉妹丘(ロシア語版)(ソープカ・シストラー)から遠くない位置で錨を下ろした。翌日、航海士のクラシリニコフは航海日誌に「朝6時に抜錨し、海岸の確認に出航した。窪みを視認し、湾だと確認した。提督閣下により、湾はナホトカと命名された」という歴史的記述を残した。なお「ナホトカ」はロシア語で「発見」・「掘り出し物」の意味である。
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