マリア・レオポルディーネ・フォン・エスターライヒ=エステとは? わかりやすく解説

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マリア・レオポルディーネ・フォン・エスターライヒ=エステ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 01:30 UTC 版)

マリア・レオポルディーネ・フォン・エスターライヒ=エステ(Maria Leopoldine von Österreich-Este, 1776年12月10日 - 1848年6月23日)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世およびマリア・テレジア夫妻の四男フェルディナント大公の三女。オーストリア=エステ大公女。バイエルン選帝侯カール・テオドールの妃となった。全名はマリア・レオポルディーネ・アンナ・ヨゼフィーネ・ヨハンナMaria Leopoldine Anna Josephine Johanna)。




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