マラーター王国の役人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/10 02:45 UTC 版)
「バーラージー・ヴィシュヴァナート」の記事における「マラーター王国の役人として」の解説
1689年、バーラージー・ヴィシュヴァナートの名が史料という形でようやく表れる。このとき、彼はマラーター王国の官僚ラームチャンドラ・パント・アマーティヤのもと、下級役人として働いていた。 1695年の文書によると、バーラージー・ヴィシュヴァナートはデカンのプネーとダウラターバードの州長官(サル・スバー)となっている。だが、1689年以降、ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブによるデカン戦争で、この地域はからはマラーター王国の勢力が放逐されており、彼はマラーター王国側の名目上の行政官であった。 ただ、この地域にはマラーターの影響力もあり、バーラージー・ヴィシュヴァナートはムガル帝国との何らかのやり取りをしていたともいう。その証拠にマラーターの王子シャーフーのやり取りが見られている。 1689年3月にマラーター王サンバージーが殺されたのち、その息子シャーフーはムガル帝国の捕虜として、帝国の宮廷に滞在していた。つまり、シャーフーとのやり取りはムガル帝国を介してでないとできなかった。 そして、このシャーフーとのやり取りで地方役人にすぎなかったバーラージー・ヴィシュヴァナートはその信頼を得ることに成功し、その運命に大きくかかわってくるようになる。
※この「マラーター王国の役人として」の解説は、「バーラージー・ヴィシュヴァナート」の解説の一部です。
「マラーター王国の役人として」を含む「バーラージー・ヴィシュヴァナート」の記事については、「バーラージー・ヴィシュヴァナート」の概要を参照ください。
- マラーター王国の役人としてのページへのリンク