マティ鈴木とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マティ鈴木の意味・解説 

マティ鈴木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/03 13:53 UTC 版)

マティ鈴木
プロフィール
リングネーム マティ鈴木
ミスター鈴木
本名 鈴木 勝義
身長 178cm
体重 102kg
誕生日 (1938-01-15) 1938年1月15日(85歳)
出身地 日本
神奈川県
所属 日本プロレス
国際プロレス
全日本プロレス
スポーツ歴 野球
トレーナー 力道山
吉原功
デビュー 1959年
引退 1978年
テンプレートを表示

マティ鈴木(マティすずき、1938年1月25日 - )は、日本の元プロレスラー。実業家。本名:鈴木 勝義(すずき かつとし)。

現在はペンドルトン・ウーレン・ミルズ社極東販売部門ディレクター[1][2]

人物

1938年1月25日生まれ。日本プロレス時代のプロフィールでは1939年生とされていた。神奈川県出身。東京都世田谷区育ち。日本体育大学荏原高等学校出身で、家業の都合で入学が二年ほど遅れた。高校時代は野球部で捕手を務めていた。高校の1年先輩で野球部のエースだったのがヒロ・マツダ(小島泰弘)であった。

高校時代から東京都中央区日本橋浜町にあった力道山道場でボディビルをやった後、日本プロレスに入門。1959年5月1日、ミツ・ヒライ(平井光明)戦(後楽園ジム)でデビュー。

日本プロレス時代はミスター鈴木のリングネームを名乗り、前座で山本小鉄星野勘太郎上田馬之助らと出世争いを展開していた。デビュー2年後に一旦家業に戻ってから、復帰しファイトを続けた。

1966年に吉原功と共に日本プロレスを離脱、高校の先輩であるヒロ・マツダも加えて国際プロレス旗揚げに参加。その間には豊登アントニオ猪木が旗揚げした東京プロレスにもゲストながら参戦している。

国際プロレス時代は新人選手のコーチも務め、若手時代のストロング小林(小林省三)、マイティ井上(井上末雄)、ヤス・フジイ(藤井康行)らを指導している[3]

その後、ヒロ・マツダと共に国際プロレスを離脱し、1969年からアメリカ合衆国へ渡航。アメリカではフロリダ州オクラホマ州などの中南部テリトリーと1973年からはオレゴン州を転戦し、現地の強豪レスラーと鎬を削った。

1973年から1975年までジャイアント馬場に請われて設立まもない全日本プロレスに助っ人として参戦。日本側陣営の重鎮として馬場とコンビを組んだほか、コーチとしてジャンボ鶴田(鶴田友美)、渕正信[4]ら当時の若手レスラーを指導している。また全日本プロレスのビッグイベントであるチャンピオン・カーニバルに、第1回(1973年)、第2回(1974年)と連続参加した。

1976年から再びアメリカへ戻り、オレゴン州を中心にファイトし、1978年に現役を引退。

引退後はオレゴン州ポートランドに居を構えて貿易商・実業家として活動しており、折を見ては日本へ来ることもあるという[1]

指導したレスラー

得意技

脚注

  1. ^ a b Inc, Rhino (2017年1月27日). “ブランド生誕153年のペンドルトンが送る、 スペシャルなトークイベントをレポート! | feature” (日本語). HOUYHNHNM(フイナム). 2021年8月14日閲覧。
  2. ^ 合縁奇縁。人と人のつながりから日本で開花した“アメリカの良心”「ペンドルトン」 ブランドストーリー | BRAND STORY  - 株式会社エイアンドエフ | 世界のアウトドア用品を40年輸入販売”. aandf.co.jp. 2021年8月14日閲覧。
  3. ^ 『忘れじの国際プロレス』P11、P40(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802
  4. ^ 渕は鈴木のことを現在でも師と慕っている。マティ鈴木さん 渕正信ブログ 酔々ブルース 2009年5月17日参照



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マティ鈴木」の関連用語

マティ鈴木のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マティ鈴木のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマティ鈴木 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS