ボンゴ・フューリーとは? わかりやすく解説

ボンゴ・フューリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/19 16:26 UTC 版)

ボンゴ・フューリー (Bongo Fury) は、1975年にリリースされたフランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インヴェンション[注釈 1]キャプテン・ビーフハート(ドン・ヴァン・ヴリート)のライブ・アルバムである。


出典

注釈

  1. ^ 本作はザッパの新作アルバムとしては、マザーズ・オブ・インヴェンションの名が名義に含まれた最後のものであった。次作の『ズート・アリュアーズ』(1976年)以後、ザッパの新作アルバムは、参加ミュージシャンの顔ぶれを問わず全てフランク・ザッパ名義となった。
  2. ^ 本作に収録された2曲のスタジオ録音曲にはいずれもヴァン・ヴリートが参加しており、彼は「200イヤーズ・オール」でリード・ボーカルとバッキング・ボーカル、「クカモンガ」でハーモニカを担当した。アルバムには「スタジオ録音は1974年1月と2月に行なわれた」旨が記されたが、バンクーバー在住のザッパ愛好家であるチャールズ・ウルリッヒは著書"The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa" (ISBN: 978-1-55420-146-4) の41ページで「スタジオ録音は1974年ではなく1975年に行なわれた」と指摘している。しかしウルリッヒはその根拠を示していない。ザッパとヴァン・ヴリートの関係は、1969年にザッパがプロデュースしたキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド(以下、マジック・バンド)のサード・アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』を巡って少しずつ険悪化して、2人は1970年代にはすっかり疎遠になっていた。また、ヴァン・ヴリートは1974年初頭にはマジック・バンドの新作を制作していた。これらのことから、マジック・バンドが活動を停止した1974年11月の後、2人が共同活動することに合意してからヴァン・ヴリートが本作のスタジオ録音に参加したと仮定すると、ウルリッヒの指摘が正しい可能性がある。あるいは、ザッパ達だけで1974年初めに録音した未発表音源に、ヴァン・ヴリートが1974年の末か1975年にボーカルやハーモニカを重ねた可能性もあろう。
  3. ^ ウルリッヒは、この2曲はヴァン・ヴリートが作詞してマザーズが即興で伴奏をつけたとしているが、根拠を示してはいない。
  4. ^ ザッパとヴァン・ヴリートはカリフォルニア州ランカスターAntelope Valley High Schoolの同級生。R&Bのレコード鑑賞を通じて親交を深め、やがてザッパがギター、ヴァン・ヴリートがボーカルを担当して録音するようになり、ザッパはヴァン・ヴリートにキャプテン・ビーフハートというステージ名を与えた。1968年、ザッパは、ヴァン・ヴリートのマジック・バンドを自分が同年に設立したストレイト・レコードに招き、大作『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)のプロデューサーを務めた。1958年から1964年までに2人が録音した音源の幾つかは、ザッパの未発表音源集The Lost Episodes(1996年)とMystery Disc(1998年)に収録された。
  5. ^ マザーズのオリジナル・ドラマーで、ヴァン・ヴリートがマザーズとのツアーの後で再結成したマジック・バンドに参加したジミー・カール・ブラックは、「フランク(ザッパ)はいつもドン(ヴァン・ヴリート)を妬んでいたと思う。何故なら、彼は決してドンほど前衛的にはなれなかったから。」と回想した。さらに彼は「2人は全くうまくいかなかった。ツアーでエル・パソに来た時も、フランクはドンに口をきこうともせず、全く無視していた。ドンはフランクに角としっぽをつけた悪魔の絵を描き、フランクはそれを本当に嫌っていた。」と述べた。ザッパは1993年にBBCのインタビューで「簡単ではなかったけれど、数週間だけだったから。」と述べた。


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