ボウリング条約とは? わかりやすく解説

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ボウリング条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 08:45 UTC 版)

ボウリング条約(ボウリングじょうやく、英語: Bowring Treaty, タイ語: สนธิสัญญาเบาว์ริง)は1855年4月18日イギリスシャム王国(現在のタイ王国)の間で調印された友好通商条約であり、これによりイギリスはシャムでの治外法権自由貿易領事館の設立が認められた。シャム王国は関税による収入を失い、商品の対価としてのアヘンを受け入れることになった[1]。しかし同様の条約をフランスアメリカプロイセンオーストリア=ハンガリー帝国らと締結することで各国の利権を誘導し、内政干渉と植民地化を防ぐ生存外交を展開した[2]バウリング条約[3][4]とも。


注釈

  1. ^ 暹羅(せんら)、シャム王国の前身である暹国と羅国をあわせたシャムの古称
  2. ^ 古くからポーナガルのチャム語碑文、バガンのビルマ語碑文、アンコール・ワットの刻文に記載がある

出典

  1. ^ a b c d 飯島(2020,255)
  2. ^ a b c d e f 飯島(2020,248)
  3. ^ 宮田敏之欧米系商会のシャム進出 (1864年-1910年)」1996
  4. ^ 北岡伸一 西太平洋連合のすすめ: 日本の「新しい地政学」, p. 192, - Google ブックス
  5. ^ a b 飯島(2020,236)
  6. ^ マン、クリストファー (2012). メイ・ホールズワース。クリストファー・マン(編)。香港の伝記の辞書。香港大学出版局。ISBN 9789888083664.
  7. ^ Haakonssen、Knud (2006)。啓蒙と宗教:18世紀の英国における合理的な意見の相違。ケンブリッジ大学出版局。p。307.ISBN 9780521029872
  8. ^ ノートン・カイシェ、ジェームズ・ウィリアム (1898)。香港の法律と裁判所の歴史。ロンドン: T フィッシャー アンウィン。
  9. ^ ボニー・シューナッカー(2007年1月15日)「ヒ素とイースト菌が混ざった人種間の緊張」サウスチャイナモーニングポスト
  10. ^ 飯島(2020,250)
  11. ^ 飯島(2020,251)
  12. ^ a b c d 飯島(2020,252)
  13. ^ a b 飯島(2020,253)
  14. ^ ボーリング、フィリップ (2014). 自由貿易の最初の宣教師: ヨーロッパとアジアのサー・ジョン・ボウリング. 香港大学出版局。ISBN 9789888208722.
  15. ^ 飯島(2020,251-252)
  16. ^ a b c d 飯島(2020,253-255)
  17. ^ 飯島(2020,256)
  18. ^ 『岩波講座 東南アジア史 5』 (2001)、214頁
  19. ^ 田中(1988,99)


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