ボウリング条約
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ボウリング条約(ボウリングじょうやく、英語: Bowring Treaty, タイ語: สนธิสัญญาเบาว์ริง)は1855年4月18日にイギリスとシャム王国(現在のタイ王国)の間で調印された友好通商条約であり、これによりイギリスはシャムでの治外法権、自由貿易、領事館の設立が認められた。シャム王国は関税による収入を失い、商品の対価としてのアヘンを受け入れることになった[1]。しかし同様の条約をフランス、アメリカ、プロイセン、オーストリア=ハンガリー帝国らと締結することで各国の利権を誘導し、内政干渉と植民地化を防ぐ生存外交を展開した[2]。バウリング条約[3][4]とも。
注釈
出典
- ^ a b c d 飯島(2020,255)
- ^ a b c d e f 飯島(2020,248)
- ^ 宮田敏之「欧米系商会のシャム進出 (1864年-1910年)」1996
- ^ 北岡伸一 西太平洋連合のすすめ: 日本の「新しい地政学」, p. 192, - Google ブックス
- ^ a b 飯島(2020,236)
- ^ マン、クリストファー (2012). メイ・ホールズワース。クリストファー・マン(編)。香港の伝記の辞書。香港大学出版局。ISBN 9789888083664.
- ^ Haakonssen、Knud (2006)。啓蒙と宗教:18世紀の英国における合理的な意見の相違。ケンブリッジ大学出版局。p。307.ISBN 9780521029872
- ^ ノートン・カイシェ、ジェームズ・ウィリアム (1898)。香港の法律と裁判所の歴史。ロンドン: T フィッシャー アンウィン。
- ^ ボニー・シューナッカー(2007年1月15日)「ヒ素とイースト菌が混ざった人種間の緊張」サウスチャイナモーニングポスト
- ^ 飯島(2020,250)
- ^ 飯島(2020,251)
- ^ a b c d 飯島(2020,252)
- ^ a b 飯島(2020,253)
- ^ ボーリング、フィリップ (2014). 自由貿易の最初の宣教師: ヨーロッパとアジアのサー・ジョン・ボウリング. 香港大学出版局。ISBN 9789888208722.
- ^ 飯島(2020,251-252)
- ^ a b c d 飯島(2020,253-255)
- ^ 飯島(2020,256)
- ^ 『岩波講座 東南アジア史 5』 (2001)、214頁
- ^ 田中(1988,99)
- 1 ボウリング条約とは
- 2 ボウリング条約の概要
- 3 脚注
- ボウリング条約のページへのリンク