ホシュート部の青海遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:46 UTC 版)
「ホシュート」の記事における「ホシュート部の青海遠征」の解説
ホシュート部長となったトゥルバイフは1636年、チベット仏教ゲルク派の要請を受けて青海のチョクト・ホンタイジを討伐すべく、青海遠征をおこなった。トゥルバイフは暮の結氷期を利用して一万のオイラト軍を青海に侵攻させ、翌年にチョクト・ホンタイジの三万を殲滅した。これによってトゥルバイフはゲルク派のダライ・ラマ5世から「持教法王」の称号を授かり、グーシ・ノミーン・ハーン(国師法王)となった(以下、グシ・ハン)。これ以降、オイラトがチベット仏教ゲルク派の施主を務めるようになり、これまでチンギス・カンの男系子孫のみが名乗っていた「ハーン」号を他家であるオイラトも名乗るようになった。
※この「ホシュート部の青海遠征」の解説は、「ホシュート」の解説の一部です。
「ホシュート部の青海遠征」を含む「ホシュート」の記事については、「ホシュート」の概要を参照ください。
- ホシュート部の青海遠征のページへのリンク