ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 20:40 UTC 版)
ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦(ペトロパブロフスク・カムチャツキーほういせん、Siege of Petropavlovsk)は、クリミア戦争の太平洋戦線における主要な戦いである。1854年の8月から9月にかけて、ロシア帝国の極東最大の拠点だったカムチャツカ半島のペトロパブロフスク(当時、沿海州はまだ清領であり、ロシア領ではなかった)に対して、イギリス・フランス連合軍の艦隊が砲撃を浴びせて上陸を敢行しようとした。これに対して、艦船の数でも兵力でも劣るロシア側が防戦に成功し、ロシア側の犠牲者100人ほどに対して英仏連合軍は5倍ほどの犠牲者を出して撤退した。
- ^ 原(1998年)、56頁。
- ^ 奈木(2005年)、106頁・557頁。
- ^ 和田(1991年)、18-24頁・83-96頁。
- ^ 和田(1991年)、87頁・109-110頁。
- ^ 奈木(2005年)、42頁・95-97頁。
- ^ a b 和田(1991年)、130頁。
- ^ a b 奈木(2005年)、91頁。
- ^ オリーヴツァとメンシコフ公は、プチャーチンの使節艦隊編成に際し、それぞれカムチャツカ小艦隊と露米会社から派遣されていたもので、原隊復帰となった。
- ^ 和田(1991年)、131-133頁。
- ^ a b c d 奈木(2005年)、106頁。
- ^ a b 和田(1991年)、176-177頁。
- ^ a b 奈木(2005年)、404-406頁。
- 1 ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦とは
- 2 ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦の概要
- 3 戦力
- 4 攻囲戦
- 5 その後
- 6 英仏側の艦船
固有名詞の分類
フランスの戦闘 | パークナム事件 ストラスブール包囲戦 ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦 ジブラルタル包囲戦 ポルト・プラヤの海戦 |
イギリスの戦闘 | アレクサンドリア攻囲戦 ビトリアの戦い ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦 ワーテルローの戦い マイソール戦争 |
ロシア帝国の戦闘 | ナヴァリノの海戦 ツォルンドルフの戦い ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦 ブルシーロフ攻勢 ロシア軍艦対馬占領事件 |
クリミア戦争 | シノープの海戦 ヴラジーミル・コルニーロフ バラクラヴァの戦い ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦 パーヴェル・ナヒーモフ |
- ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦のページへのリンク