フランソワ・ヴェイエルガンスとは? わかりやすく解説

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フランソワ・ヴェイエルガンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/12 16:14 UTC 版)

フランソワ・ヴェイエルガンス
François Weyergans
誕生 (1941-08-02) 1941年8月2日
ベルギーブリュッセルエテルベーク
死没 (2019-05-27) 2019年5月27日(77歳没)
フランスパリ
職業 小説家映画監督
国籍 ベルギー
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フランソワ・ヴェイエルガンス(François Weyergans、1941年8月2日2019年5月27日)は、ベルギー出身のフランス語作家映画監督

生涯

ベルギー・ブリュッセルエテルベークにて、カトリック作家・映画評論家・出版人の父フランツ・ヴェイエルガンスと、フランス人の母ジャンヌとの間に生まれる。ブリュッセルイエズス会系の学校を卒業したのち、1958年にパリの映画高等学院に入学、在学中は特にロベール・ブレッソンジャン=リュック・ゴダールの映画にのめりこんだ。

1961年より、モーリス・ベジャールを撮った作品を皮切りとして映画監督として活動、その傍らで『カイエ・ド・シネマ』などに映画評論を寄稿。1973年には初の小説作品『道化師』を出版する。同作はジャック・ラカンの精神分析を受けた自身の体験をもとにした作品で、同年のロジェ・ニミエ賞を受賞した。以後映画の仕事も続けながら小説作品の発表を続け、『端役たち』(のち『フランスの男たち、女たち』と改題)(1980年)でベルギー王立アカデミー・フランス語フランス文学賞、『コプト人マケール』(1981年)でドゥ・マゴ文学賞、『ボクサーの錯乱』(1992年)でルノードー賞を受賞、2005年には『母の家で過ごした三日間』で、同年のミシェル・ウエルベックの話題作『ある島の可能性』を押さえてゴンクール賞を受賞している。

2009年、前年に死去したアラン・ロブ・グリエのあとを受けてアカデミー・フランセーズ会員となった。

2019年5月27日、パリにて死去。77歳没[1]

邦訳作品

  • 『母の家で過ごした三日間』渋谷豊訳、白水社、2008年

小説

映画

  • 1962 : Béjart
  • 1963 : Hieronymus Bosch
  • 1965 : Robert Bresson: Ni vu, ni connu
  • 1967 : Baudelaire is gestorven in de zomer
  • 1967 : Aline
  • 1972 : Un film sur quelqu'un
  • 1977 : Maladie mortelle
  • 1977 : Je t'aime, tu danses
  • 1978 : Couleur Chair (en:Flesh Color)

参考文献

  • フランソワ・ヴェイエルガンス 『母の家で過ごした三日間』渋谷豊訳、白水社、2008年(訳者解説)

脚注


前任
アラン・ロブ・グリエ
アカデミー・フランセーズ
席次32

第21代:2009年 - 2019年
後任
-





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