ハーバート・チャップマンとは? わかりやすく解説

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ハーバート・チャップマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/31 14:44 UTC 版)

ハーバート・チャップマン
名前
ラテン文字 Herbert Chapman
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 1878年1月19日
出身地 サウス・ヨークシャー
没年月日 (1934-01-06) 1934年1月6日(55歳没)
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1895-1897
1897
1897-1898
1898-1899
1899
1899-1900
1900-1901
1901-1902
1902-1903
1903-1905
1904-1905
1905-1907
1907-1909
アシュトン・ノースエンド
ステイリーブリッジ
ロッチデールAFC
グリムズビー・タウン
スウィンドン・タウン
シェッペイ・ユナイテッド
ワークソップ・タウン
ノーサンプトン・タウン
シェフィールドU
ノッツ・カウンティ
ノーサンプトン・タウン(loan)
トッテナム・ホットスパー
ノーサンプトン・タウン
監督歴
1907-1912
1912-1918
1921-1925
1925-1934
ノーサンプトン・タウン
リーズ・シティ
ハダースフィールド
アーセナル
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハーバート・チャップマン(Herbert Chapman、1878年1月19日 - 1934年1月6日)は、イングランドの元サッカー選手サッカー指導者WMフォーメーションを開発し、世界のサッカー界に影響を与えた、第二次世界大戦前の名指導者の1人である。

経歴

チャップマンは選手時代にはインサイドフォワード(現在の攻撃的MF)としてプレーし、フットボールリーグや非公式のアマチュアリーグのクラブで10数年間に渡ってプレーをしたが、選手としては大成することはなくタイトル獲得とも縁がなかった。

引退後は指導者の道へ進み、1907年ノーサンプトン・タウンの監督に就任すると、2度の南部リーグ優勝(1908年1912年)に導き、監督としての最初の成功を収めた。リーズ・シティを経て第一次世界大戦後の1921年ハダースフィールドの監督に就任し、4年間にリーグ優勝2回(1923年1924年)とFAカップ優勝1回(1922年)に導いた。

これらの手腕が認められ、1925年アーセナルFCの監督に就任。チャップマンは、オフサイドルールの改正に伴い、この対策に取り掛かることになった。1897年に作成された従来のルールでは、「競技者がボールに触れるかスローインした時に、その競技者と相手ゴールラインの間に少なくとも3人の相手選手が存在する時に限りボールに触れることが許される」(3人制)と定められ、守備側に有利であった[1]

1925年に国際サッカー連盟(FIFA)により改正された新ルールでは3人から2人(2人制)へと変更され攻撃側に有利となった。これにより得点数は増加したが、反対に守備側の負担は増加し、従来の2-3-5フォーメーション(ピラミッド型)では対応出来なくなっていた[1]

同年10月にニューカッスル・ユナイテッドFCに0-7と大敗を喫すると、主将のチャーリー・ブキャンの提案を受けて、従来の2-3-5フォーメーション(ピラミッド型)を改良。センターハーフを務めるハービー・ロバーツをFBに後退させ3人で守備を担当。5人のFWから2人を中盤に後退させ[1]、3-2-2-3とも言える布陣を採用した。

システムが熟成するまで数年を有したが、1927年のFAカップで準優勝、1930年のFAカップではハダースフィールド・タウンFCを下しクラブ創立以来初となるタイトルを獲得した[2]

その後もリーグ優勝3回(1931年1933年1934年)、FAカップ準優勝1回(1932年)に導いた。またWMシステムは、世界のサッカー界に大きな影響を与え、1950年代までのおよそ20数年間に渡って主流となった。

チャップマンは経営者としても才覚を発揮した。アーセナルのスタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」に変更することを提案すると、ロンドンの交通局も了承し、これによってアーセナルの観客動員数は大きくアップした[3]

1934年1月6日肺炎により死去。55歳没。生前の功績が認められ2002年イングランドサッカー殿堂入りを果たした。

エピソード

息子のケン・チャップマンはラグビー選手でハーレクインズに在籍。後にラグビー・フットボール・ユニオンの会長を務めた。

脚注

  1. ^ a b c アルパド・チャナディ著、宮川毅訳『新版 チャナディのサッカー』 229-232頁、ベースボール・マガジン社、1984年。 
  2. ^ FA Cup Final 1930
  3. ^ No.253 チューブ駅「アーセナル」の話”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1999年2月10日). 2013年9月21日閲覧。

外部リンク




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