タタル部とは? わかりやすく解説

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タタル部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 23:45 UTC 版)

タタル部(塔塔児、Tatar)は、モンゴル帝国以前にモンゴル高原東部に存在したモンゴル系遊牧民族。『元史』などでは塔塔児、『集史』ではQaum Tātārと記される。チンギス・カンによって滅ぼされたが、その名は遊牧騎馬民族の代名詞となり、ヨーロッパに広まってタタールと呼ばれるようになる。また、代以降から漢化したオングト部が「白韃靼」と呼ばれたのに対し、漢化していないタタルをはじめとする諸部族を「黒韃靼」と呼んだ[1]タタール部とも表記される。[2]


  1. ^ 南宋の使節趙珙の報告書『黒韃備録』『黒韃事略』より。
  2. ^ 護雅夫神田信夫著『世界各国史12 北アジア史』(1981年山川出版社)より。
  3. ^ a b 村上 1970,p68
  4. ^ 佐口 1989,p27
  5. ^ 志茂 2013,p821-822
  6. ^ 『集史』の増補版では「アンバガイ・カンの3番目の息子テムル・ユラキのために、チャガン・タタル族から娘をもらいに行く」というエピソードも存在する。≪宇野伸浩「『集史』第1巻「モンゴル史」のアムバガイ・カンとトドエン・オッチギンの挿話≫
  7. ^ 元朝秘史』には「主因亦児堅」という文字で書かれる。この「主」ǰü~ǰuが、『遼史』『金史』あるいは『元史』に「乣」という特殊な文字で写されたものの原音と見られるが、『黒韃事略』の説明によると、五十人を一隊として編成された、国境防備のための外人傭兵部隊を指すものであった。おそらくは契丹語に由来する語であって、最初は朝下で保有を許された王侯貴族の私属の軍隊を名指したが、次の金朝にはいると、この語は自国の羈絆の下に置かれた北方遊牧民から編成した国境守備隊を意味するように使用されて、族から出た「咩乣」、タングート族から出た「唐古乣」、モンゴル族から出た「萌骨乣」などの多くの乣軍の名が輩出するようになったらしい。ここに見える「タタル乣」もその一つであろう。≪村上 1970,p69≫
  8. ^ テムジン・ウゲ(TemüJ̌in Üge,TemüJ̌in Öke)、「テムジン」とはtemürčiすなわち「鉄を作る人」とか「鍛冶屋」の意がある。中世モンゴル語では、nomen agentisのčiを付する場合、hüker→hükečiのように、中間のrを落とすことが普通である。なお、この場合のügeとは「言葉」の意味ではなくて、オゴデイ・カアンのögö~ökeなどと同じ語源のもので、ポール・ペリオによれば、古代アヴァール語における「賢者」の意であろうという。≪村上 1970,p79≫
  9. ^ コリ・ブカ(Qori Buqa,Qūrū Būqā)、『元朝秘史』の写し方によれば、「コリ族の牡牛」あるいは「二十匹の牡牛」の意となろう。≪村上 1970,p79≫
  10. ^ 村上 1970,p66-91
  11. ^ 村上 1970,p282-285
  12. ^ 村上 1970,p312-316
  13. ^ 村上 1972,p49-53
  14. ^ 志茂 2013,p824-825


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