セカンドアルバム〜メンバーの投獄(1992年 - 1993年)
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1992年2月24日、セカンドアルバムからの先行シングル「ウィアドー」(全英19位)をリリース。サウンド全面に打ち出された叩きつけるようなハモンドオルガンのリフ、打ち込みのリズムトラック、バージェスの無機質なボーカルが特徴的なこの曲は、現在でもライブで度々演奏される。3月23日にはセカンドアルバム『ビトウィーン・10th・アンド・11th』をリリースするが、この頃には世間ではマッドチェスタームーブメントが完全に下火となっていて、全英チャート最高位21位という結果に終わる。セカンドアルバムはU2のアルバムなどを手がけたフラッドによりプロデュースされた。7月6日にセカンドアルバムからのシングルカット曲「トレメロ・ソング」(全英44位)をリリースし、8月28日に英レディング・フェスティバルの初日に準トリで出演した後、9月に2度目の来日ツアーを行った。 この後、バンド活動の一時中断が余儀なくされる事件が起こる。1992年12月3日、キーボードのロブ・コリンズが酒屋で強盗を試みた友人の逃走に協力したとして、その友人とともに強盗未遂で逮捕された。ロブは強盗の行為そのものには関与していなかったが、結果的に逃走車となった自分の車を運転していたことが罪に問われ、懲役8カ月の実刑判決を言い渡された。1993年春に英バンド、ライドとダブルヘッダーで行ったデイトリッパーツアー、そしてサードアルバムの制作は、この事件と平行して行われた。その際、ロブが担当するキーボード、バックボーカルのレコーディングは、刑務所入りするまでに録り終えなければならないなどの状況を強いられた。入所後、刑務所では朝礼の際にオルガンを弾くなど、行いが良かったため4カ月で仮出所した。
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