スタンウィックス駅の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:42 UTC 版)
「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の記事における「スタンウィックス駅の戦い」の解説
連邦政府から何年も無視されていたためにアリゾナ準州ツーソンでの南軍への同調が高まり、現在ではアリゾナ州南部とニューメキシコ州南部から構成されるアメリカ連合国アリゾナ準州の西地区州都と宣言した。ラスクルーセスに近いメシラは準州の州都であり、東地区の州都でもあった。南軍の望みはカリフォルニア州南部の同調者に影響を及ぼして南軍に加わらせ、アメリカ連合国にとって太平洋への出口を作ることだった。連邦政府はこのことを妨害しようと考え、カリフォルニア部隊と呼ばれる志願兵部隊をジェイムズ・ヘンリー・カールトン大佐に指揮させてアリゾナを占領するために東に向かわせた。カリフォルニア州のユマ砦が作戦の基地に使われた。 アリゾナ州西部のスタンウィックス駅はユマの東約80マイル (130 km) ヒラ川近くに1850年代に造られた駅馬車線の停車駅だった。この駅が北軍と南軍がぶつかった最も西の場所となった。 戦闘は1862年3月30日に起こった。カリフォルニア部隊のウィリアム・P・キャロウェイ大尉と272名の前衛隊が、南軍ジョン・W・スウィリング少尉に率いられた小さな分遣隊がカリフォルニア部隊の動物のためにスタンウィックス駅に置かれていた秣を燃やしているのを発見した。数的に遥かに勝る北軍と短時間銃撃を交わしただけで、南軍はアリゾナ準州西地区の州都ツーソンに撤退した。北軍は1名が負傷しただけだった。 この出来事の意味は2つあった。1つはスタンウィックス駅だけでなく他の駅馬車駅でも秣を燃やすことでカリフォルニア部隊の進行を遅らせ、南軍がアリゾナ準州都メシラから撤退してその物資を持ち出すか破壊するまで、北軍の到着を妨げたことだった。2つ目はもっと直接的に重要なことであり、スウィリングはツーソンに戻ってアリゾナ準州西地区の指揮官シェロド・ハンター大尉にカリフォルニア部隊が接近していることを警告したことだった。ハンターは戦略的な位置に歩哨を置いた。
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